タグ

aestheticsに関するtatsuw0のブックマーク (27)

  • モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」 - 9bit

    『分析美学基論文集』所収のビアズリー「視覚芸術における再現」のまとめです。 明晰で整理された内容のわりに、文章は読みづらかったというか、長くてしんどかったので、まとめる意義もそれなりにあろうかと思います。 モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」相澤照明訳、西村清和編・監訳『分析美学基論文集』所収、173–243、2015(Monroe C. Beardsley, "Representation in the Visual Arts," in Aesthetics: Problems in the Philosophy of Criticism, 267–317, New York: Harcourt, Brace & World, 1958.) 絵についてなにか言うときの諸概念や焦点が整理・分類されている章です。たとえば美術史の人が絵の構造を記述・分析するときの基的な概念的枠組

    モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」 - 9bit
  • 『分析美学基本論文集』刊行記念「分析美学は加速する──美と芸術の哲学を駆けめぐるブックマップ最新版」 - 紀伊国屋書店新宿南店ブックフェア(2015年9月8日~10月25日)

    このページは、森 功次さんプロデュースによるブックフェア 「分析美学は加速する」 をご紹介するために、WEBサイト「日曜社会学」の中に開設するものです。 ブックフェアは、勁草書房の企画協力を得て、紀伊國屋書店新宿南店5階にて2015年9月8日から10月25日まで開催されました。フェアの詳細については、紀伊國屋書店、勁草書房の特設ページもご覧ください: 紀伊國屋書店 新宿南店 勁草書房 フェア中、店舗では 選書者たちによる解説を掲載したパンフレットを配布しましたが、このページにはその内容の一部を掲載しています。 2015.12.30 解説文一つを掲載しました。これですべての項目が掲載されました。 2-B.「分析美学の基書」 (森 功次) 2015.12.24 解説文一つを掲載しました。 2-A.「分析美学史」 (西村清和) 2015.12.14 解説文一つを掲載しました。 3-G.「物語」

    『分析美学基本論文集』刊行記念「分析美学は加速する──美と芸術の哲学を駆けめぐるブックマップ最新版」 - 紀伊国屋書店新宿南店ブックフェア(2015年9月8日~10月25日)
  • 図像的フィクショナルキャラクターの問題 | 高田 | Contemporary and Applied Philosophy

    稿が問題にするのは図像によって表現されたフィクショナルキャラクターである。図像的フィクショナルキャラクターとは、漫画、アニメ、小説の挿絵など、制作者が公式に図像によってキャラクターを提示しており、かつフィクションの中の登場人物であり、フィクションの性質を持つキャラクターのことである。 稿は、描写の哲学の知見を参照しながら、キャラクターとそれを表現するメディアとしての図像の関係を問う。主要な関心は、図像によってフィクションを提示することが持っている固有の問題、および私たちがメディアを通じてフィクションにどのようにアクセスするのかである。ただし稿が主として扱うのはその中のより特定の部分、私たちはいかにしてフィクショナルキャラクターの美的性質を知るかについてである。 1、2節ではフィクションにおいて図像がどのような仕方でキャラクターに性質を付与するのかという問題を整理する。3節では、非

  • 芸術作品の脱物質化(抄訳)

    芸術作品の脱物質化(抄訳) ルーシー・R・リパード&ジョン・チャンドラー Alberro and Stimson(eds.), Conceptual Art: A Critical Anthology, The MIT Press, pp.46-50 1960年代、ここ20年を特徴的づける、反−知性的で感情的/直感的な芸術制作のプロセスにとってかわって、極度に概念的〔conceptual〕な芸術が台頭し始めた。この芸術は、ほとんどもっぱら思考のプロセスに重点を置く。作品がスタジオでデザインされ、職業的な職人たちによって他の場所で制作されるようになり、オブジェは単なる最終的な生産物となったがゆえに、数多くのアーティストは、芸術作品の物理的な進歩に対する関心を失いつつある。スタジオ〔a studio〕は、またしても研究〔a study〕となるのだ。こうした流行は、芸術の、とりわけオブジェとして

    芸術作品の脱物質化(抄訳)
  • アートと伝統が地域を滅ぼす日 | kuro.cc

    コミュニティづくりのゾンビたち 2014年を振り返る上で象徴的だった記事に、すばる10月号に寄稿された藤田直哉氏の『前衛のゾンビたち – 地域アートの諸問題』があげられるだろう。特に現代アートに焦点を絞った寄稿であったが、問題の構造は決してアートの分野かだけに限らず地域活性という枠組み全体に当てはまる話と言える。 今の地域活性あるいはまちづくりの枠組みの中でのプロジェクトに出てくるキーワードは地域こそ違えど共通している。「クリエイティブ」「アート」「伝統」で「みんなで一緒に」「コミュニティデザインする」、といったところだろうか。(出てくるアウトプットまで似たりよったりなのは、他地域の前例模倣が暗黙の前提となっている日の地域活性界の特徴だが、この問題は 「地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? 」(ちくま新書)に詳しく載っているので今回は取り上げない) 昨今のまちづくりや地域活

  • ゲームはフィクションではない - 9bit

    ゲームをフィクションないしメイクビリーブといっしょくたにするなという話です。主張の内容は以下のとおり。 フィクションとゲームは、そのなかでの事柄が現実の利害関心から分離しているという点で似ている。 フィクションとゲームは、そのなかでの事柄が、想像されるものであるか、制度的に構成されるものであるか、という点でちがう。 現実的利害からの分離という特徴を指すのに「フィクション」という語をつかうのは、議論の整理という観点からいって致命的にまずい。 ケンダル・ウォルトンの『In Other Shoes』(2015)のKindle版が出てたので、とりあえず5章の「"It's Only a Game!": Sports as Fiction」だけ読んだ。 ウォルトンは、スポーツに代表される競争的なゲームを観戦することが、演劇のようなフィクションを鑑賞することと同じくメイクビリーブの側面を持っていると主張

    ゲームはフィクションではない - 9bit
  • まちづくりと「地域アート」──「関係性の美学」の日本的文脈

    2000年代に入り、全国でまちづくりを支援し、地域を活性化させるさまざまなアート・プロジェクトが展開しています。「地域アート」と呼ばれるこうした動きを戦後美術史の文脈から支えるニコラ・ブリオー「関係性の美学」やそれと距離を置くジャック・ランシエールの「政治」などを介しながら、コミュニティ拠点づくりや地域振興とアートの深まる「関係」について考えます。 「ブリオー×ランシエール論争を読む」やクレア・ビショップ「敵対と関係性の美学」などの翻訳でも知られる美学・表象文化論の星野太氏と、「前衛のゾンビたち──地域アートの諸問題」(『すばる』2014年10月号掲載)で現代アートの構造変化を問いかけた評論家の藤田直哉氏に語っていただきました。 藤田直哉氏(左)、星野太氏(右) いまだ「批評」は読者を獲得し、影響力を持ちうるのか 『すばる』2014年10月号、集英社 星野太──今日はよろしくお願いいたしま

    まちづくりと「地域アート」──「関係性の美学」の日本的文脈
  • 藤田直哉氏「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」、演劇の問題を中心として考えると

    nukisuke♨️ @nukisuke すばるの地域系アート(僕が「町おこし系」と呼ぶやつ)の論考読んでみよう。独自のフォームを持っていて面白くなる可能性秘めていると思うのだが、妙なアート幻想をむやみに拡散させているのも事実。あと、「産業」と最も親近性のある形式と思うのだが、そこが隠蔽されている感じがあるのもな。 2014-09-08 11:12:30 nukisuke♨️ @nukisuke 「アートは玄人のためだけじゃない」という主張も理解できるし、わかりやすいことが悪でもない。でも、その「わかりやすさ」や「アートの民主化(的なもの)」がいかなる欲望に紐づいて要請されるのかは慎重に考えたほうがいいし、そこから導き出されるものは作り手、受け手にとっても重要だろう。 2014-09-08 11:19:18

    藤田直哉氏「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」、演劇の問題を中心として考えると
  • 『フィクションの哲学』検討会の雑感 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ■ 感想 ふだんのゆるふわ形而上学読書会メンバーと数名で開催。 の性格を考えると、文学系の人が来てくれたのは大変よかったですね。わたしも文学理論や文学の哲学の話は元々の関心ではあるんだけど、ふだんあまりその話をする機会がないので、そういう話がいっぱいできて満足。 なお、3月には著者さまを呼んで開催する公式検討会もある予定だよ! ■ 『フィクションの哲学』について 前半「作者と語り手の分離」という定式化は二つに分裂してないか? 1つは、物語的な語りの特徴として捉えられた「視点の分離」(あまりうまく表現できない) もう1つは、単純に「わたし」が誰を意味するか。および真偽の追求先が誰にあるか ノンフィクションは前者は満すけど、後者は満さないよね。 このは、重要な主張が変なところにさらっと出てくる。 しかもかなり大胆な主張してるよね。 このの特徴付けだと、私小説って扱いがたくない? ウォルト

  • 清塚邦彦『フィクションの哲学』検討会のためのレジメ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    あしたの検討会のためのレジメです。 検討会で人に見せたら変更したくなると思うけど取りあえずアップしておきます。 書き方がえらそうでごめんなさい。 ■ 書の目的 「フィクションの概念分析」 ■ フィクションの概念分析とは何か 「フィクション」という概念に関する諸原理を明らかにする。 ただし、 「フィクション」は多義的である。 たとえばフィクションには以下のような相異なる意味がある。 (1)虚偽 (2)実在と対応しないもの (3)文学作品 書は、 (3)の意味を基としつつ、 より包括的で より見通しのよい フィクション概念を提案する。 より包括的であるとはどういうことか? 絵画、彫刻、演劇、映画などの非言語的作品も包括する。 より見通しのよいとはどういうことか? 問題領域についてよりよい理解が得られる 一貫したシンプルな原理によってフィクション概念の質を捉える フィクションにかかわる諸

  • 『フィクションの哲学』読書会後のTL一部

    @portedieu フィクションじゃないはずなのに文学として捉えられるものをどう説明すればいいか?ということには「フィクション論」は無関心。そのあたりのことを説明しようと試みたのが『フィクションとディクション』。しかし「条件的虚構性」などが考えられていて、意外とフィクション論にとっても有用。 2010-01-23 15:24:27 @portedieu 『フィクションの哲学』「「ドラえもんは未来から来た」は虚構の発言ではない」となる、あまりに過激なフィクション観なのでついていけないと思っていたが、実は有益な捉え方であり得ることにだんだん気付いてきた。 2010-01-23 18:08:26 @portedieu 「いわゆる「ノンフィクション」作品はれっきとしたフィクションである。」しかも、内容的に何一つ現実世界とい違うことがなかったとしても。このフィクション観は過激だ。最初は単なる誤謬

    『フィクションの哲学』読書会後のTL一部
  • 清塚邦彦「写真を通して物を見ること : K・L・ウォルトンの透明性テーゼをめぐって」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    自分の中で毎日更新が義務みたいになってきているのだが、論文だけじゃなくても読みたいのでそろそろネタがつきそう。 ところで、余談だが、清塚さんはpictureの訳に「絵」をあてている(手書きの絵は「絵画」と呼んで区別している)。私はpictureは「図像」で行くことにしちゃったんだけど、この辺の選択は悩ましい。 http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/handle/123456789/2868 山形大學紀要. 人文科學 15(2), 19-50(302-271), 2003-02-17 写真は眼鏡や望遠鏡と同じ視覚の補助手段であり、私たちは写真を通して物を見ることができる。 これがウォルトンの言う写真の透明性だ。ウォルトンによればこれは絵画には成り立たず、写真だけに認められる特性である。 この論文はウォルトンの議論を紹介し、それに対する反論に答えている。 前半はよ

    清塚邦彦「写真を通して物を見ること : K・L・ウォルトンの透明性テーゼをめぐって」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • n11books.com

    Salah satu permainan yang menarik perhatian adalah Slot Presto!. Dengan tema sulap yang menawan, grafis yang memukau, dan berbagai fitur serta bonus, Presto! menjadi salah satu pilihan favorit bagi para pemain. Tema dan Desain Visual Pertama-tama, Slot Presto! menarik perhatian dengan tema sulapnya yang unik. Desain visualnya mencerminkan suasana pertunjukan sulap dengan latar belakang panggung da

    n11books.com
  • リュディガー・ブプナー「美的経験と美術館のあらたな役割」(2003) - un coin quelconque de ce qui est

    [以下は Rüdiger Bubner, »Ästhetische Erfahrung und die neue Rolle der Museen«, in: Joachim Küpper und Christoph Menke, hrsg. Dimensionen ästhetischer Erfahrung, (Frankfurt a,M.:Suhrkamp 2003.) の試訳。拙訳のブプナー『美的経験』(法政大学出版)に付録としていれておけばよかったと後悔。凝縮された言葉遣いで難解な論述だが、美的経験につきまとう主観主義を払拭しその社会性を回復させる手段としての美術館の役割が、共通感覚の問題と共に語られている。] 美的経験と美術館のあらたな役割 1. おそらく覚醒している同時代人なら誰でもパリのルーヴルをイメージできる。同様のことは、二〇〇〇年に初めて開設されたロンドンのテート・モ

    リュディガー・ブプナー「美的経験と美術館のあらたな役割」(2003) - un coin quelconque de ce qui est
  • シブリーが挙げる美的用語の一覧 - 9bit

    追記(2014.01.19) 「Aesthetic Concepts」のレジュメを作りました。PDFです。 フランク・シブリー「美的概念」(1959/1962)のレジュメ フランク・シブリーは、古典的論文「Aesthetic Concepts」(1959)の冒頭で、その論文の主題である美的なもの(美的用語、美的概念、美的判断、美的性質)をひとまず以下の二点で特徴づけしているように思われる。 ① 美的用語の適用には趣味(taste)ないし感受性(sensitivity)という特殊な能力が必要である ② 美的用語*の事例の列挙 ①はこれだけだとほとんどなんの限定にもなってないので*、問題の領域を実質的に特徴づけているのは②の大量の事例ということになる。 逆に言えば、これらの用語を見てぴんとこない人は、シブリーが(そしておそらくほとんどの美学者が)関心をよせる「美的なもの」の領域がおおむねどうい

    シブリーが挙げる美的用語の一覧 - 9bit
  • n11books.com

    This domain may be for sale!

    n11books.com
  • クレア・ビショップ イントロダクション――生産者としての観者

    Whitechapel GalleryとMIT Pressが出版している美術に関するテクストのアンソロジーがあるんですが、そのうちビショップが編集したParticipation(参加)についての一冊に付せられたイントロダクションです。観客の参加が特権化されていることに対する批判が、ランシエールを援用しつつ行われているのが面白いと思いました。ランシエールの文章も読んでみないと、なんかほんとにそれでええんかって気もしますが。 要するに、シチュアシオニストによるスペクタクル批判(やその先駆としてのブレヒト、アルトー)は、さまざまな方法を通して、スペクタクルに対して受動的な存在である観客に、能動的な主体となることを求める実践だったわけですが、しかし、ランシエールは、観客のあり方を能動的/受動的という二分法で捉えることはよろしくないんでないかと言っている。一見受動的に見えても、解釈(ランシエールは翻

    クレア・ビショップ イントロダクション――生産者としての観者
  • 作者の意図と作品の解釈 - 9bit

    作者の意図と作品の解釈の関係にかんする以下の論文がサーベイとして優秀だったので内容をまとめておきます。 Irvin, Sherri (2006). "Authors, Intentions, and Literary Meaning." Philosophy Compass 1(2): 114-128. [pdf] 分析美学では、文学作品の解釈とはどういうものか(あるいはどうあるべきか)の議論は、ニュークリティシズムの代表者であるWimsatt & Beardsley(1946)による意図主義批判とそれに対する意図主義者Hirsch(1967)からの反論から始まったこともあって、作者の意図と作品の解釈の関係をどう考えるかという論点を中心に展開してきた。 この論文では、この論点に対する諸説が以下のようにまとめられている。 極端な実際的意図主義(Extreme Actual Intention

    作者の意図と作品の解釈 - 9bit
  • henri maldiney |

    tatsuw0
    tatsuw0 2013/12/10
    "Vendredi 6 décembre 2013. A plus de cent un ans, Henri Maldiney vient de mourir."
  • ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit

    昨日の勉強会で話題にのぼったのでまとめておきます。 ダントーの有名なアートワールド論文は、前半部分、つまり、芸術の定義にかかわる「アートワールド」概念や、芸術作品の同一性や解釈にかかわる不可識別性の議論ばかり取り上げられる印象があるけど、実は後半部分のほうがおもろいんやで、という話。 Arthur C. Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy 61 (1964): 571-584. 扱うのは4節です。3節までで芸術作品を可能にしているのは理論なのだーという主張をくどくどしたあとに、ダントーはそのような理論が実際に作品やその経験にどのようなしかたで関係するのかについてわりと唐突に議論しはじめます。 ダントーはまず「種類Kに関連ある述語」(K-relevant predicates)という概念を導入する。これは「Kに属する諸対象に、意味

    ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit