# 『けいおん』は男女を越境するか? さて、時代の変化と共にジャンルが閉鎖性を高めていることに関してはここ十年くらいの間でしょうか「ほっといてくれ」と「いやほっとけないだろ」というふたつの立場が大体同じパターンのやりとりをしている状態が続いているものと思われます。 大体「ほっといてくれ」派の言い分は基本的に「外にいる奴が文句言うな。せっかく盛り上がってるんだから好きにさせろ」というもので、それに対して「いやほっとけないだろ」派が「ほっとくとどんどんジャンルがつまらなくなるからほっとくわけにはいかない」と外から口出しし続けている、という状態ではないでしょうか。 これはジャンルのファンとジャンルを越境した批評を試みている人との間で行われるやりとりですが、ファンでも批評家でもない当事者、つまり作者はどのように考えているのでしょうか? 作者の意図を推し量るにあたって、インタビューなどの直接的な手段
おい、すでに22話放送されてしまってるってばよ…… そんな些細なことは置いといて、今回はなんというか、梓以外はやることすべてやったよね感が凄い。「みんな同じ大学を受験する」という選択をどう選ぶか? に関し「20話のライブ」において強い動機付けを置いた、これで受験さえ越えれば、あとは卒業を残すのみ、って感じか。 まあ、だから、どうこう書くにあたっても、物語上の問題的が梓ぐらいにしか残されていないような気がする。あー、あと残るといえば「これからはけいおん部でなく、放課後ティータイムとしてやっていくにあたって、高校に置いていかねばならないモノ」をどう掘り下げるかぐらいか。 そういえば、この回に関して一番びっくりした部分がある。彼女らが同じ大学を受験するにあたって、強いキッカケになったのが、澪ってことだ。正直な話、澪に関しては、結構薄情な印象があったんだけどなぁ…… まあ、これは飽くまで印象なんだ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く