ブックマーク / donoso.hatenablog.com (3)

  • 2020年の本 - Valdegamas侯日録

    過去のログを漁るとまるで言い訳の変遷がボージョレ・ヌーボーの評価のようであるが、当に今年もろくにを読まない一年であった。Twitterで報告したとおり、私事でも色々あり、世の中はコロナに見舞われた。在宅勤務が増える中で読書がはかどるかとも一瞬思ったのだが、そんなことはなく、人間は読書の習慣が鈍るとを読まなくなるのだと反省の思いが強くあった。来年からは是正しなければならないとかなり深刻な反省を覚えるところがあったが、それはそれとして今年出たで印象に残ったを取り上げることとする。 ■印象に残る研究あれこれ どのような脈絡をつけたものか考えたが、ランダムに取り上げることとした。まず一冊目として取り上げたいのは川名晋史『基地の消長 1968-1973 日土の米軍基地「撤退」政策』(勁草書房)である。書は基地問題をめぐる政治学を研究対象としてきた政治学者が、1960年代後半に格化し

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  • シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日録

    前口上 シン・ゴジラは映像の快感に満ち満ちた作品であった。何度となく繰り返される政治家や官僚たちの会議、自衛隊による整然としたゴジラへの攻撃、ゴジラを襲う無人在来線爆弾と高層ビル、そして鳥肌が立つほど美しいゴジラの熱線放射。どれもこれも素晴らしかった。 作を特異なものとしたのが、作品が社会現象として捉えられ、多くのシン・ゴジラ論が語られた点にあるだろう。教義の映画のレビューではなく、特集連載を掲載した日経ビジネスオンラインを典型として、「シン・ゴジラ論壇」は活況を呈した、あるいは呈するように仕向けられた。今しばらくこうした状況は続きそうな様子である。 おそらく2016年を振り返るとき、無視できない作品となったシン・ゴジラであるが、わたしは8月頭に一回目を見たときから耐え難い違和感があった。しかしながらそれを文章化することにはためらいがあった。わたしがためらいを感じたのは、違和感という名の

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  • 「黒子のバスケ」被告人意見陳述に端を発する雑感 - Valdegamas侯日録

    「黒子のバスケ」脅迫事件の初公判で、被告人の読み上げた冒頭意見陳述全文(リンク1・リンク2)がインターネット上で評判になったが、これを読んでしばらくして、私は下記のようなツイートをした。 某意見陳述、くりかえされる自己の行動へのツッコミ、いかにもなネット的修辞、「自分がいかに消費されるか」を異常に意識した文章、何もかもがメタ的消費に飲み込まれた文章だという感じしかしなかったし、なんというかこういうストーリーに自分を固めたんだなという気持ち悪さしかなかった。— 侯爵 (@MValdegamas) 2014, 3月 17 あの文章に「時代の子」という性質を読み取る人もいるとは思うけれど、あれは「時代の子」を演じているようにしか思えなかった。まあそういうことを言うと何が演技でなにが実際なのか、という話なのだろうが。— 侯爵 (@MValdegamas) 2014, 3月 17 もちろん心なのか

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