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2011年2月7日のブックマーク (5件)

  • チャプター3 - Groove Japan

    第3回のドキュメンタリー動画では、アーチスト「inu」の活動を追いかけました。ジャンルを越えて自在に活躍するDJ・作曲家の「inu」は、機材も生活形態も極限まで圧縮し、全存在を音に投じているかのようです。再開発された六木を、悠然とサンダルで闊歩する「inu」。現在の日社会には「ミニマル」という選択肢もあるのです。 どのような意識を持っているかで、同じ空間にいても過ごし方がまったく違います。未来を恐れるのか、未来というリスクを楽しむのかは、人次第。このエッセイ集では国際社会との「意識の格差」を縮める一助となるアイテムを紹介していきます。 さる1月21日のことですが、経団連会長が少子高齢化に直面している日の労働力確保について「将来は外国からの移民を受け入れるべきだ」と述べました。移民問題について公的に言及するのは初めてだったそうです。 近代以降、移民を積極的に受け入れた経験のない

  • チュニジア崩壊とソーシャルサービス - チャプター2 - Groove Japan

    第2回の「Groove Japan」ドキュメンタリーは「Groove」の質に迫ります。ノリのいいビートのサンプルをコンピューターで解析すると、拍子が時間の中で均等に割り振られていないことが確認できます。時間軸上におけるローカルな「ずれ」と、全体の統一感が絶妙にバランスされた時に「Groove」が生み出されます。 そして今週も国際ニュースの現場から速報をお届けいたします。 ジャスミン革命が拡散中 みなさま、リビアが今、すごいことになっています。でもその前にチュニジアで革命が過去1週間の間に起きてしまいました。あまりにも目まぐるしい現在進行形のニュースを英語で追い続け、場合によってはフランス語をGoogle翻訳して読み続けた過去数日間。さすがにアラビア語の情報源は「野菜」という言葉が頻繁に出てくる以外には、よくわかりませんでした。 「野菜」がキーワードの1つです。1ヶ月前、北アフリカ

  • チュニジアの暴動からベンアリ独裁の終わり: 極東ブログ

    チュニジアの、それを革命という人もいるし「ジャスミン革命」と呼ぶ人もいるが、暴動のきっかけは2010年12月17日、中部の町、シディブジド(Sidi Bouzid)で、大学は出たものの職はなく路上で野菜を売って家の生計を立てていた26歳の青年モハメド・ボアジジの焼身自殺の試みだった。国民の人口の42%が25歳以下のチュニジアでは、モハメド青年は象徴的な若者の、絶望のモデルにも見られた。話題になりやすい条件はあった。 モハメドの父は彼が3歳のときに死んだ。そのころベンアリ大統領(当時)の独裁が始まった。モハメドの短い一生は、他の青年同様、その独裁政権以外を知らない。彼は10歳には学校から帰ると路上での販売をした。26歳、1週間の売上げは6000円。それも無免許販売を理由に警察は商品を没収した。彼は1万6000円ほど借金をし、また商売を始めようと地域の役所に懇願に行ったが空しく、女の役人に侮蔑

  • 2月4日、エジプト争乱について: 極東ブログ

    エジプト情勢についてもうちょっと書いておくかな。BBCとか見ているとエジプト情勢の緊迫化という感じだし、ナバネセム・ピレイ国連人権高等弁務官によれば「確定的ではないが、300人程度が死亡、3000人以上が負傷したとの情報がある」(参照)とのこと。大変な事態だが、都市部市民生活の基盤崩壊による余波も大きいのではないか。予想されたように都市部の糧の争奪は発生している。時事「糧難、パン争奪で死者=備蓄に走る市民-エジプト」(参照)より。 大統領独裁体制の打倒を目指すデモが続くエジプトでは糧の入手が困難になってきた。経済活動がまひし、商業活動や物流に影響が出ている。主のパン価格が首都カイロでは4倍に高騰するなど品薄気味。1日付の独立系紙アルマスリ・アルヨウムによると、パン購入をめぐるトラブルで客が銃で撃たれるなど4人が死亡する事件も発生した。 報道によれば、パン屋の店主が値上げに反発したと

  • エジプト暴動は軍部のチキンゲーム: 極東ブログ

    チュニジアの暴動から飛び火したかに見えるエジプトの暴動だが、これはおそらく、民主化とはあまり関係のない軍部のチキンゲームだろうし、緩和なクーデターと言ってもよいだろう。 エジプトの暴動で、近年の事態ですぐに連想されるのは、2008年のそれである。糧高騰によって政府公営販売所の品販売価格と市場価格の乖離が起こり、民衆が公営販売所に殺到して、暴動となった。死者は10人以上も出た。 同年はムバラク大統領が80歳になる記念の年でもあり、とりあえずの反体制派が中心となり、大統領の誕生日にストライキを計画した。このおりも、インターネットが活用されものだった。もっともエジプトでは強権政治が続き、かつチュニジアのように中産階級が厚くないことから、反政府勢力は運動の核とはなりえない。形の上では国際原子力機関(IAEA)事務局長エルバラダイ氏が帰国し民主化を語ったが、当面の動向として彼の支持層はないに等し