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マンガと読み物に関するtennootoのブックマーク (2)

  • トーチweb ブログ 【追悼 みなもと太郎先生(担当編集者より)】

    みなもと太郎先生が逝去された。 8月7日午前2時。入院中の病院で亡くなったと奥様からご連絡があった。昨年来、先生は肺がんの療養のため入退院を繰り返す生活を送られていたが、『風雲児たち』の連載再開を目指して前向きに病と向き合われていた。病状は深刻なものだったけれどお会いする度にお元気で、当にこのまま全快してしまうのではないかと私は思っていた。亡くなられた当日も、朝には売店で新聞を買い、夕方にはコンビニで夜を買い、夜にはご家族とLINEで楽しくやりとりされるなど当に普段どおり過ごされ、深夜に息を引き取ることになるとは、奥様にも思いもよらなかったそうだ。「人も、いつも通り眠ったものだと思ったのではないでしょうか」とおっしゃっていた。 翌8日、先生にお会いしてきた。ながやす巧先生が描いた似顔絵が仏壇にあった。どうにも言葉が出ず、まともなお悔やみも言えぬまま帰ってきてしまった気がする。どうぞ

    トーチweb ブログ 【追悼 みなもと太郎先生(担当編集者より)】
  • みなもと太郎先生の思い出(2,053字):ハックルベリーに会いに行く

    みなもと太郎先生が2021年8月7日に亡くなられた。ぼくは、生前みなもと先生に大変お世話になった。そこで今日は、みなもと先生の思い出について書いてみたい。 みなもと先生と最初にお目にかかったのは、2016年だ。その頃ぼくは、岩崎書店で児童書の編集をしており、どうしても『マンガの歴史』というを作りたいと思っていた。そのとき、作者はみなもと先生以外ないと思った。 なぜなら、みなもと先生はマンガ家であると同時にマンガ研究家でもあって、マンガの歴史はもちろん、マンガ文化そのものに造詣が深かった。しかも普通の歴史にもお詳しく、『風雲児たち』という歴史マンガを描いていた。つまり、「マンガ」と「歴史」に詳しい。こんな人は他にいない。

    みなもと太郎先生の思い出(2,053字):ハックルベリーに会いに行く
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