私は差別という行為の存在を許容しない。これは別段、博愛精神だの善性だのといった信念から生じたものではなく、あくまで合理主義に基づく判断である。 差別という行為を簡潔に定義すると「自分と異なるものの排除」ということになる。排除は場合によって同化という形で表出することもあるが、「自分と異なるもの」をなくしてしまうという点では違いがない。 「異なる」とは言うが、無論人間は一人ひとり異なっているわけで、要するに差別というのは万人がその対象たり得るのだ。 「なぜ人を殺してはいけないか」との問いに野坂昭如は「殺しなさい、ただ君も殺される」と答えたというが、とまれ権利というのは常に双方向的なものであり、自身に差別の自由を認めるならば他人にも自分を差別する自由を認めざるを得ない。つまりは互いが互いを排除あるいは同化する皆殺し世界の成立である。 「差別を認めない」ということは、言い換えれば「違いが違いとして