チベット暴動が起きてから、「ダライ・ラマ自伝」をもう一度読み返してみた。 現在のチベット問題やダライ・ラマという稀有な精神を理解する上で、また、中国共産党政府の本質を知る上で大変得るところが多い本だ。 特に印象的なのは、ダライ・ラマと毛沢東が交錯する場面である。 中国共産党政府が、力づくでチベットを実質的に併合した4年後の1954年、北京で初めての全国人民代表大会(全人代)が開催され、当時19歳だったダライ・ラマも、全人代への参加を求められ、北京に赴き、毛沢東とも何度か会見する。 若きダライ・ラマは、毛沢東の指導者としての資質やその人間的な魅力から強い印象を受ける。チベットを蹂躙し、後には全面的に軍事力を展開して、ダライ・ラマに亡命を余儀なくさせた宿敵ともいえる存在だが、驚かされるのは、毛沢東に対する人格批判めいたことが、一切書かれていないことだ。 ダライ・ラマは、周恩来に対しては、狡猾な