執筆当時、「時をかける少女」の素晴らしさに興奮し、しかしその(私が中核と思う)魅力を観客が体験するためには事前に魅力を伝えては意味がないというジレンマに悩みつつ、結局は優れた映画を観た幸福感の勢いにのって書いてしまいました。 そのような半ば自己満足的な代物であったにも関わらず、この評論を幾人かの方が幾つかの場所で紹介してくださいました。大変ありがたいことだと恐縮しながら感謝しております。 2006年の夏というひとつの季節が終わった今、本論の持つ意味は風化し、陳腐化していくことを免れえません。しかし、映画を観た当時の自身の熱狂は残響のように現れているように感じます。 願わくば、この評論が「時をかける少女」をご覧になり心動かされた方と、何かを共有できるものでありますことを。そのような祈りを込めて、今後もそのままの形で公開するものです。 (2006.09.16 東目堂) 2006年7月15日。