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台湾に関するtetsu_1895のブックマーク (200)

  • 黄昏の中を走る自動車 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    迪化街をウロウロしているうちに日が低くなってきていた。とろんとした黄昏の光が道に降り注いでいる。路面は黄色に輝いていて、道を走る自動車たちはシルエットになっていた。多くの人が家路に就く時間なのだ。でも、僕は家路に就くことはない。僕の家はここから遙か遠くだ。 黄昏に染まった道を眺めていると、一日が終わりつつあるのを感じる。そして、何故だか分からないのだけれど、子どもの頃を思い出すのだった。今実際にいるのは異国の地なのに。黄昏には郷愁に浸らせる力があるのかもしれない。

    黄昏の中を走る自動車 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 赤い扉に黄色い乳鋲 | 写真とエッセイ by awazo.com

    行天宮は台北にある関帝廟で商売の神様である関羽が祀られている。出来ることならお金持ちになりたいと願う人はどこの国でも多い。そのため台北観光の目玉のひとつでもある関帝廟は連日賑わっている。やってくるのは観光客よりも地元の人の方が多いように見える。 参拝客が出入りする入口よりも立派な扉が設けられているものの、その扉はしっかりと閉じられていた。反対に回ると太い閂で閉じられているのが分かる。鮮やかな朱色に塗られた扉には乳鋲のような飾りが幾つも付いていた。まるで侵入者がこの扉から侵入してくるのを防いでいるかのようだ。 扉の上に目を向けると扁額が掛けられていて、寺院の名前が書かれていた。両脇の柱には彫刻が施されていた。御祭神である関羽はこの扉のちょうど向こう側に鎮座しているのだけれど、人間が中に入るには脇にある小さな扉から入らなければならない。神様の真正面から入るのは不謹慎なのだろう。正中を避けるよう

    赤い扉に黄色い乳鋲 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ベランダのシルエット | 写真とエッセイ by awazo.com

    かつて金鉱によって栄えたこの小さな町は山間に造られている。そのため、建物はしばしば急な斜面に建てられていたりする。そのような建物のベランダからは遠くに広がる景色を楽しむことが出来るのだ。 歩いていると、二人の女性のシルエットをベランダに見つけた。二人はフェンス際に立ってそこからの眺望を楽しんでいるようだ。おそらくは遠くに東シナ海が見えていることだろう。女性のひとりは、遠くの方に向かって指を差していた。人混みから離れて、静かに景色を堪能するもまた楽しい。

    ベランダのシルエット | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 九份で托鉢する僧侶 | 写真とエッセイ by awazo.com

    九份の細い路地には大勢の人が歩いているから、托鉢をするにはもってこいの場所なのだろう。これだけの人がいれば、中には托鉢しようと思う人もいるに違いない。混雑した路地の路傍にいた僧侶はそれを狙ってここで托鉢をしているのだと思った。僧侶は托鉢用の鉢と長い数珠を持って静かに立っていた。 そうこうしているちに、僧侶の思惑通りに若い女性がやって来た。そして、僧侶に施しを渡している。ここでも、日と同じようにべ物ではなくて、お金を渡すようだ。ここにいる人のほとんどの人は僕と同じように観光に訪れているので、べ物なんて携帯していないから自然とそうなるだけかもしれない。

    九份で托鉢する僧侶 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • パンチ! | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    国父紀念館の廊下では大勢の人が太極拳に興じていた。屋根があって、エクササイズをするにはちょうどいい場所なのだろう。 その中にはお揃いの服装の一団もいた。もちろん、この集団は太極拳を行っていた。写真の男性と女性もその集団のメンバーだ。仲間と一緒に太極拳を行っている。周囲には音楽などリズムを計るものは一切流れていないのだけれど、みな同じようなリズムで行っている。まるで、呼吸を合わせて踊っているかのようで、見ていて楽しい。パンチを繰り出すタイミングもやはり同じだった。

    パンチ! | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 国父紀念館で太極拳 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    中華文明の人たちはも杓子もまるで義務であるかのように太極拳に親しんでいるのかと思っていたけれど、実際はそうでもないようだ。いくら台北の町を歩いていても、太極拳なんてやっている人には行き会わないのだった。情報収集した結果、国父紀念館の周辺が愛好家のメッカのようになっていることが分かったので、早朝にここにやって来たのだった。 ここでは大勢の人がエクササイズをしている。日と同じように早朝の公園でエクササイズなんてしているのは、リタイヤしたと思われる年配の人ばかりだ。その中に追い求めていた人を見つけた。女性と男性が国父紀念館の廊下で太極拳をしていたのだった。ふたりは黙々と太極拳をし続けていた。

    国父紀念館で太極拳 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 木柵指南宮の龍 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    お堂の屋根の端に龍がいた。空を見上げている。その活き活きした姿は今すぐにでも屋根から飛び立ってしまいそうだった。でも、残念ながらこの日は天気が悪い。こんな日に空を飛び回っても、あまり心地よくないかもしれない。 この国では、日と違って道教の寺院が多いのだけれど、道教の寺院には必ずと言っていいほど龍の彫刻が屋根の上に設置されている。道教においては、龍は水と天気を司る神様なのだ。そのため、屋根の四方に置かれていることが多いようだ。

    木柵指南宮の龍 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 路地に出ていた茶館の看板 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    ウロウロと町を徘徊していると、年配の女性が歩いているのが見えた。女性は地元の人なのだろう。迷いなく細い路地へと入っていく。そこで、僕は女性の後ろを追いかけるように路地へと足を踏み入れることにしたのだった。路地の方がは背の高い壁になっていて、反対側に古い家屋が建っている。知らない町のこんな路地に入るのにはちょっと勇気がいる。なにせどこに抜けるのかも分からないし、そもそも通り抜けられるのかも分からない。 そんな僕の不安をよそに女性はどんどん進んでいく。女性の頭上には茶館と書かれた看板がかかっていた。お茶好きとしてはちょっと気になる看板だ。でも、路地に入るだけでも勇気がいるのに、その路地にひっそりと立つお店に入る勇気はもう残っていなかった。

    路地に出ていた茶館の看板 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 街角に立つ女性 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    年配の女性が路地の入り口に立っていた。後ろで手を組んで立っていた。女性はひとりでいて、特に何かをそこでしているようには見えない。立ったまま、どこか遠くを眺めているのだった。この辺りの路地は入り組んでいる。女性の立っている路地の奥には沢山の看板が掲げられているのが見える。奥の方ではお店がひしめいているようだ。 このエリアには昔からいかがわしいお店が軒を連ねていると聞いている。ひょっとしたら、この女性も町角に立って客引きしていたのかもしれない。

    街角に立つ女性 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 薄暗い騎楼という通路にしゃがむ幼子 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    騎楼になっている歩道は真っ直ぐに伸びていた。街灯の類いは見当たらず、歩道は薄暗い。そして、車道側には何台ものバイクが駐められていた。地元の人はバイクで移動することが多いので、台北の町には大量のバイクが走っている。通路の先に目を向けると「按摩」と書かれた看板がかかっているのが見えた。漢字の国を旅すると、何が書いてあるのかが分かってとても楽ちんだ。 そんな薄暗い歩道に幼い男の子がひとりでいた。両手を地面に手をついて路面を見つめている。とても熱心に見詰めている。何か虫でも見つけてのかな。じっと路面を眺め続けている男の子は、カメラを構えている僕には一向に気が付かなかった。

    薄暗い騎楼という通路にしゃがむ幼子 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • バイクに股がる男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    小雨がパラパラと降っていた。路面は濡れている。それでも傘を差して歩いている人はほとんどいなかった。そんな町角に1台のバイクが停まっていた。そして、男がシートに腰を下ろしている。 男は両手をハンドルの上に載せて、どこか遠くを眺めている。まるで蛇に睨まれた蛙のようにぴくりとも動かなかった。ボーッとしていて、なんだか放心状態のようにも見える。小雨がシトシトと降りしきる中で物思いに耽るのも、たまには良いかもしれない。

    バイクに股がる男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 紙の箱を持った女が歩いていた | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    薄暗い市場の通路を歩いていると、向こうから年配の女性が歩いてくるのが見えた。カートを押しながら歩いてくる女性の手には紙の箱が握られている。箱には日語で「お事」と書かれている。お弁当の類いなのだろう。何かをつまみながら市場の中を歩いているようだった。小腹が空いているのだろう。 でも、弁当箱に入っているものだけでは、空腹を満たすことは出来ないようだった。市場で売られているべ物をキョロキョロと眺めながら、年配の女性は僕の横を通り過ぎていった。

    紙の箱を持った女が歩いていた | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 路地に立つ傘を持った男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    薄暗い路地に入っていくと、男が立っているのが見えた。小雨が降っていたので、男は傘を差している。男の頭上には漢字で書かれた看板が掛けられていた。 この辺りは歓楽街だったので、平日の昼間は長閑な雰囲気に包まれていた。歩いている人も殆どいない。それでも、客引きのおばちゃんがところどころに立っていて、歩いていると声を掛けてくる。昼間に来る客は少ないのだろう。客引きのおばちゃんは暇そうだった。この静かな路地も夜は別の顔を見せるのだろう。

    路地に立つ傘を持った男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 忠烈祠で向かい合う中華民国儀仗兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    白いヘルメットをかぶった儀仗兵が台北にある忠烈祠の前で向い合って立っていた。もちろん微動だにしない。じっと見ていても、動くのは瞼ぐらいで、まるで銅像のようだった。見ているとスタチューを演じる大道芸人を思い起こしてしまう。 じっとしている儀仗兵とスタチューを演じる大道芸人はかなり似ている。国家のために行うのか、エンターテイメントとして行うかの違いがあるものの、どちらもピクリとも動かない。そう考えると儀仗兵は仕事を辞めても、すぐに優秀な大道芸人になれるに違いない。ただ儀仗兵には側に世話係がついて、動かなくともハンカチで汗を拭いたりしてくれたりするのに対し、道端で行うスタチューの場合には全てを自分で行う必要があるかもしれないけれど。

    忠烈祠で向かい合う中華民国儀仗兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 銃の影 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    堂の入り口には衛兵が立っていた。正確には中華民国儀隊というらしい。僕が近づいてカメラを向けたぐらいでは衛兵はピクリとも動かない。まるで僕なんて視界に映っていないかのようだ。これだけ動けないと、もし蝿が顔の近くにまとわりついたらどうするのだろうと心配になってしまう。もし、そうだとしても衛兵は決して動かないのだろう。衛兵の任務は大変なのだ。僕には到底できそうにない。 衛兵は銃剣を携えて立っていた。銃剣の影がくっきりと柱に落ちていた。

    銃の影 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 腕を前に上げる衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    中正紀念堂と同じようにここ忠烈祠にも衛兵が立っている。ということは定期的に衛兵交代が行われるのだった。 広々とした参道を歩いていると、ちょうどその時間がやって来たようだった。どこからともなく衛兵が現れてた。腕を上下に激しく動かしながら行進をしている。視線は真正面を見据えて動かない。まるで何かに取り憑かれたかのような視線だ。傍らで一眼レフを構えている僕になんて一瞥もくれることはない。かれら衛兵にとっては、僕なんて存在しないも同然なのだろう。

    腕を前に上げる衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 目を閉じた衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    台北にある忠烈祠の門前にはヘルメットをかぶった衛兵が立っていた。ここも中正紀念堂と同じように軍事施設でもないのに衛兵が立っているのだ。実際に具体的な敵から守っているというよりも、守っているという形式が大切なのだろう。 職務上、衛兵は動くことは許されない。じっとしたまま形式を保つのがその仕事だ。そのため、たとえどんなに暑くても額を流れる汗を拭うことさえ許されない。 そんな衛兵にレンズを向けても、やはり微動だにすることはなかった。衛兵が自分の意志で動かして良いのは瞼くらいなのではないだろうか。しかし、写真の中の衛兵は目を閉じていた。何かを考え込んでいるかのように目を瞑っていたのだ。このままだと、いざという時に動けないのではなかろうかと、要らぬ心配をしてしまった。

    目を閉じた衛兵 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 基隆河の畔にそびえる圓山大飯店 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    台北北部を流れる基隆河のほとりに巨大な建造物が建っている。中華文化を連想させる外観を持つ圓山大飯店という名のホテルだ。一説によるとこのホテルは世界有数の大きさを誇る中国建築なのだそうだ。確かにとてもエキゾチックな外観をしている。 このホテルが開業したのは1952年。それまでこの場所には台湾神宮という神社が建っていた。日統治時代の台湾には多くの神社が建立されたようだけれど、結局信仰が根付くことはなく、日統治の終焉とともにほとんどが取り壊されてしまっている。もちろん台湾神宮もあっけなく破壊され、跡地が巨大なホテルに転用されたのだ。

    基隆河の畔にそびえる圓山大飯店 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 九份の人混み | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    路地にはお土産物屋や堂が立ち並んでいる。混んでいるのはこの路地だではない。町全体に観光客が溢れているのだった。ここは台北の町から気軽に訪れることのできる人気の観光地なのだ。 建物に挟まれた細い路地は日差しが降り注がなくて薄暗い。そして、人びとが犇めき合っている。まるで牛舎のようだ。これだけ混雑していると、古い町並みを静かに堪能するのは難しい。人気の行楽地だから仕方がない。地元の人たちはホクホク顔になるのだろうけれど。

    九份の人混み | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 九份の階段 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    九份は山間にある小さな集落だ。古い町並みが残っているこの町は、今では立派な観光地になっている。山肌に細い路地が巡らされていて、散策するにはもってこいだ。ただし、空いていればだけれど。台北から日帰りで訪れることのできる九份は僕のような観光客で混んでいるのだった。 町中には急な階段があった。女性がその急な階段を下りている。1段1段慎重に下っている。ヒールのあるなので階段を歩くのは難儀そうだった。ふと、階段の上に目をやると、そこには幾つもの看板が掛かっていた。

    九份の階段 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ