町角には粗末なお店があって、中では男が大量のマンゴーに囲まれて座っていた。傍らにある二つの籠はマンゴーで一杯になっていて、男の前の床にもマンゴーが山積みになっている。これらは皆売り物だ。男の小さなお店はマンゴーで溢れかえっていたのだった。後ろの壁には申し訳程度にバナナが掛けられている。 男は写真を撮れ撮れと五月蠅かったのに、いざレンズを向けると、先程までの調子は何処へやら。険しい顔つきになってしまった。残念。
![山のようなマンゴーと男 | 写真とエッセイ by awazo.com](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e08fcbf02b5765cc284d6292b144c6e7dd4bcb37/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fawazo.com%2Fphoto%2F2012%2F6302-PT272852HDRL1.jpg)
なんの変哲もないコルカタの住宅街の中を歩いていると、道の先に一台の黄色いタクシーが停まっているのが見えた。地元の人はリクシャーばかりに乗ってタクシーを使うことはあまりない。このような場所で客待ちをしているとは思えないから、運転手の家が近くにあるのだろう。この辺りに人通りはあまりなく、真昼間なのに閉じているアパートの窓もある。この年季の入ったアパートのどこかに運転手の家があるのだろう。 コルカタの町を走っているタクシーはみな同じヒンドゥスタン・アンバサダーという古い型のものだけれど可愛らしい。この車のベースとなっているのはイギリスで1956年に生産が開始された「モーリス・オックスフォード シリーズⅢ」で、その生産設備ごとヒンドゥスタン・モーターズが買取り、1958年よりインド国内で生産が開始されているものなのだという。つまり、この車のスタイルは半世紀以上も前にデザインされたものなのだ。でも、
バクタプル旧市街にあるタチュパル広場にダッタトラヤ寺院というヒンドゥー教寺院の入り口には剣を手にした大きな石像が鎮座している。日本のお寺の表門にある金剛力士像のようなものなのだろう。そこで睨みを利かすことで邪悪なものが寺院の中に入ってくるのを防いでいるに違いない。 このような像を目の当たりにすると、中にはすごすごと中に入るのを諦める邪悪なものもあるのだと思うくらいに異形なのだけれど、よくよく見てみると愛嬌のある顔立ちにも見えてくるから不思議だ。口髭の曲線も円な瞳もとちらも可愛らしかった。
長崎にある諏訪神社は丘の上に鎮座している。参道には急な階段が設けられていて、この神社がどれだけの格式を持っているのか分からなくとも、どことなく威厳を感じてしまう作りになっていた。神社は町を見下ろしているのだ。大抵の場合、高貴なものは一般的な存在よりも文字通り高い場所にあることが多い。神社を建てた人も、そのことを意識していたに違いない。 社殿に行こうと階段の下に立って見上げると、一組の男女が階段の途中で停まっているのが見えた。ちょっと休んでいるように見える。階段を登っているうちに疲れてしまったのかもしれない。
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