タグ

ブックマーク / www.nippon.com (3)

  • レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん

    80年代半ば、レゲエ音楽にデジタル革命をもたらし、“モンスター・リディム”と称される「スレンテン」。その誕生の裏側には、カシオ計算機(社:東京都渋谷区)の電子キーボードと新卒の女性開発者の存在があった。スレンテンのルーツ・奥田広子さんが、初めてベールを脱ぐ。 スレンテンのルーツはカシオトーンの音源 ジャマイカのシンガー、ウェイン・スミスの『Under Mi Sleng Teng(アンダ・ミ・スレンテン)』は、レゲエの世界に革命をもたらしたと言われる。友人のノエル・デイヴィーと2人で、カシオの電子キーボードを使って作曲したダンスホール・レゲエだ。1985年に大ヒットすると、デジタル音の心地よく、常習性のあるリズムは、またたく間に世界中に広がっていく。 レゲエでは、ドラムとベースのリズム体を「リディム」や「バージョン」、「オケ」などと呼び、これを繰り返すことで曲に鼓動を生む。同じリディムで複

    レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん
    tetsuya_m
    tetsuya_m 2022/01/04
    面白いなあ、レゲエ好きで音大で学んだ人がカシオトーンMT-40に仕込んだRockのリズムパターンがスレンテンになってレゲエシーンに影響を与える。いい話
  • 本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)

    人口2万5千人の留萌市から屋が消えたのは2010年12月。それから7カ月後、人口30万人以上でないと出店しないルールを持つ三省堂書店が出店した。それはどうしてだったのか。 4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。 留萌の坂道 美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。 昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。 タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り

    本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
    tetsuya_m
    tetsuya_m 2021/06/01
    留萌は面白い街だな、癖のあるミュージシャンが沢山出てるし文化的に何かがあるのだろうか
  • 誤解?メイド特区に見る不幸な一例

    2015年の法改正で実現した家事支援外国人の受け入れ制度だが、その現場では早くも混乱が見られる。顧客のクレームで一方的に解雇されたあるフィリピン人メイドは「日語の資格など1年以上かかったのに解雇が簡単すぎる」と訴える。 大好きな日、そこに待っていたものは2017年6月、家事支援人材として来日することになったその中年のフィリピン人女性は東京行きの飛行機の中で感激の涙を浮かべていた。アイドルグループSMAPの歌やアニメ映画「君の名は。」のファンで、到着時は「空港の床にキスしたいような気分」だったほどだ。まさかそのわずか4カ月後、理不尽な形で解雇され、途方に暮れることになるとは想像だにしなかった。 マニラ中心部の喫茶店で取材に応じてくれたキービーさん(仮名、37)は、フィリピン人らしい快活さと明るさを兼ね備えていた。彼女は帰国後マニラ近郊に住み、女手一つで15歳の娘と3歳の息子を育てている。

    誤解?メイド特区に見る不幸な一例
    tetsuya_m
    tetsuya_m 2018/07/12
    日本は解雇が出来ないって話は何処に行った?解雇して3日後に帰国用の航空券とか余りの非人間的扱いに頭がくらくらする
  • 1