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lifeと名文に関するtetzlのブックマーク (8)

  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
    tetzl
    tetzl 2021/01/15
    すごいな。宗教家は言葉を扱うプロだなと改めて。
  • 第2回 映画にみる文化系女子の自意識 | 青弓社

    真魚八重子(映画文筆業。「映画秘宝」「キネマ旬報」「TRASH UP」ほかで執筆多数) 誰でも自意識は大なり小なりあって、自己評価や、他人の目に自分がどう映っているかは気になるものだ。そして、その自意識に溺れて周囲との距離感が冷静につかめなくなったり、他人からの評価とのバランスがうまくつりあわないとき、めんどくさいことになりがちなのが文化系女子だと思う。 クラスや会社の同僚たちが、とても退屈な人間に見える。自分は映画音楽をどんどん開拓して、豊かな感受性を育んでいるのに、書店で山積みになっている自己啓発を読んで「気づき」とか言いだしたり、凡庸な歌詞の日語ラップをカッコイイと思っていたりする周囲の人々。話の合う恋人ができなくて「こういう人たちって合コンでいくらでも相手見つけられるんだよね」と、悔しまぎれに同類な友人と話したことがあった。趣味の分母が大きいから、「ミスチル好きなんですよ

    tetzl
    tetzl 2013/10/24
    自意識とか承認要求をどうやってうまく飼いならすかみたいなところがある。
  • ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。

    植物状態の人と、今日も会う。 仕事で。 ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆ って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、 すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、気で脈を測っている。 その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、 目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。 何も喋んない。何もべない。自分で息すらできてない。 人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。 その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。 ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。 1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。 色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は 「いやぁ~あの~」を

    ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。
    tetzl
    tetzl 2011/02/23
    看護師は医師と違う前線に立ってるんだと思う今日このごろ。|「脳死」って一般論の話でこの患者さんのことじゃないと思った|この文章がダメだと言う人の生命観というのも聞きたいなあ
  • デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 - インターネットもぐもぐ

    この年に東欧革命が起こって冷戦が終わったので、世界史、特にヨーロッパ史では、この1989年以後が「現代」と見なされている[1]。 東欧革命は、2年後にソビエト連邦崩壊をもたらした。 ―1989年 - Wikipedia 1989年は、元号が平成に変わって、消費税3%が導入されて、中国では天安門事件が起きて、東西ドイツを隔てるベルリンの壁は崩壊して、事実上冷戦が集結した年、みたいだ。覚えてるわけがないのだけど。 ソ連が崩壊するのは2年後の1991年。東西冷戦も社会主義国家も教科書のなかの存在で、物心ついたときには隣の国はソビエト連邦ではなくロシア連邦でした。 資主義が世界の共通ルールだってことが考えるまでもない事実で、アメリカに対する過剰なあこがれも(たぶん、上の世代と比べたら)なかった。 というより、そもそもあまり海外に目が向かなかった。中国韓国の存在も、意識した覚えすらない。 「アメ

    デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 - インターネットもぐもぐ
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    tetzl 2011/02/17
    世代は違うけど結構感じてることかぶるなあ。親の同世代の人と親には話しにくいことをチャットしたりしてたな。だれかわかってくれる人がいるという安心感はどんどん上げられるんじゃないかな。
  • 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

    卒業していく君へ。 卒業おめでとう。当は面と向かって言ったほうが良いのだけど先生という立場だと私の発言が思った以上に重くなってしまうので直接君にはいえない。でも、君への言葉を一度形にしておかないと私の頭に一生こびりつきそうなのでここに書かせてもらうよ。 今年、君は卒論に苦しんだね。君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、最期最後まで君は自分の主張の正しさを自分の言葉で言えず、常に私の保証を求めたね。はっきり言って

    価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習
    tetzl
    tetzl 2011/02/07
    いい文章だけど、きっと「発声練習」だから良くって、下手にこういうことを語ると精神論とかなっちゃうかもなあと思った。で、そう思わせないのも結局その人の"背骨"なんだろうね。自分は新人に何を語れるかなあ。
  • 笑うひとびと - 窪橋パラボラ

    知人の便りを風に聞いた。 ● あるひとは、東欧のひととおつきあいをしている。彼女をよく知る友人が聞いた話によると、お相手の故郷の小さな村を訪れた時、村の人たちが総出で彼女を見に来たのだそうだ。皆さんニホンジンを見るのは初めてだったらしい。彼と結婚するなら、彼女はムスリムに改宗しなければならない。彼女は、どうしようかなあ、と笑って話していたという。 ● あるひとは、東南アジアで暮らしていて、現地のひととおつきあいをしている。結婚を前向きに考え、まずお試しとしてあちらの実家で短期間暮らした。彼のご家庭もムスリムだけれど、彼女の立場を理解して、宗教的なことは強制しないと言ってくれるという。「でもね、」と彼女は笑う。「ラマダンは宗教行事だと思っていないのよう。私もしなきゃいけないって言うのよう」 だから彼女はラマダンの時期、職場でこっそりご飯をべる。日系企業で働いているから、同僚もみんな似たり寄

    笑うひとびと - 窪橋パラボラ
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    tetzl 2011/01/03
    自分の周りの人が、例え公務員の子と結婚しようと、外国の人と結婚しようと、同性の人とパートナーとなろうと、笑って、話を聞いて、ビールを注いだりウーロン茶を頼んでやろうと思った。なんか。
  • 君達は学んでいるのは「知識」では無く「可能性」だ

    三人の子供たちへ 君達は今、小学校で勉強を学んでるよね。例えば新しい漢字だったり、掛け算や割り算だったり、水や空気の変化だったり。君達は今それをすごく楽しんで勉強している。知っていることが増える事自体が楽しくて、パパに新しく暗記した掛け算の段を聞かせてくれたり、読み方の分からない漢字があったら質問してくれたりしているね。パパは君達が一生懸命勉強しているのが、凄く嬉しい。 だけどこれから5年後、君達は必ずこう思うはずだ。 「こんな勉強、何の役に立つんだろう?」例えば古典という現代では使わない文章の読み方だったり、因数分解だったり、科学反応式だったり。「こんなの将来使わないよ」「生活に役立たないよ」「意味無いじゃん」てね。パパもそうだったし、ママもそうだった。身近な大人の人に聞いてごらん、多くの人は、一度はそう思ったことがあるはずだ。「こんな勉強、何の役に立つんだろう?」 でもね、君達が学んで

    tetzl
    tetzl 2010/12/20
    すもけさんの「小さきものへ」。
  • 「当事者」を 尊重しつつ、依存しない。 - hituziのブログじゃがー

    当事者の意見を 尊重する。当事者の声を きく。だいじなことですよね。その当事者が 社会的に排除されてきた 現実があるなら、きちんと はなしを きくことから はじめないといけない。 いろいろな社会問題が あるなかで、これは ゆるせないと感じ、その問題の解決に とりくむことがあります。そのとき、「わたし」の主体で、「わたしは こんなことは ゆるせない」という問題意識から出発する必要があると おもいます。 逆に、差別に反対したり、日社会の問題に とりくんだり、なぜ そういう社会運動を「わたし」はするのか。それを、いわゆる「当事者」が「いやがっているから」というリクツでやっていると、当事者とされる ひとが「いやがってくれないと こまる」ってことになってしまう。 そうなると、自分の主体よりも「当事者」の主体に依存してしまうことになる。「わたしが いやなんだ」というリクツで うごかないかぎり、「運動

    「当事者」を 尊重しつつ、依存しない。 - hituziのブログじゃがー
    tetzl
    tetzl 2010/11/01
    「「わたし」の主体で、「わたしは こんなことは ゆるせない」という問題意識から出発する必要がある」「差別に反対するのは、わたしのリクツであり、わたしの責任」「ただしさを 当事者に まるなげしてはいけない」
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