神戸市立の小学校で起きた教師によるいじめ事案は、人びとに大きなショックを与えると同時に、教師という立場への強烈な反感を生み出している。子どもの前に立つべき教師が、あまりに稚拙な行動をくり返していたことは、大いに非難されるべきである。だがそれを、漠然とした教師叩きで終わらせてはならない。なぜなら、今回の直接の被害者もまた教師であり、そして世の大多数の教師は今回の出来事を「ありえない」と感じているからだ。子どもにも教師にも「安全・安心な学校」が必要である。 ■教師叩きが見落とすこと画像はイメージ ※「無料写真素材 写真AC」より 教育問題の歴史というのは、私なりにひと言で表現すれば、それは「教師叩き」あるいは「教師バッシング」の歴史であった。 私たちの多くは学校教育を経て育ってきた。皆が学校の日常をそれなりに知っている、総専門家状態だ。だから実感と自信をもって、学校教育を語り、教師を非難する。