2022年7月30日のブックマーク (1件)

  • 韓国のコンテンポラリー写真事情 ― 2010年代を中心に:写真以降(3)ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻 文:紺野優希|FOUR-D note's

    韓国のコンテンポラリー写真事情 ― 2010年代を中心に:写真以降(3)ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻 文:紺野優希 韓国のコンテンポラリー写真事情 ― 2010年代を中心に:写真以降 #0 はじめに #1 イメージと画像の狭間で #2 仮に平らだとすれば #3 ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻 映像作品や写真という媒体は、自明な記録と言われるが、果たして何が自明なのだろうか?どこで撮って、どんな経験をして、何を表しているのだろうか。写真に捉えられたシーンや場面は、どこかロマンチックに映し出される。しかしそのとき覚える郷愁や浪漫は、果てしなく埋められない距離感として表現される。ここでは、記録をモチーフにしたアーティストの作品を参照にしながら、話を展開していく。 1.生き生きした写真 もし写真が「ロマンチック」に映るのであれば、それはきっと時空間の差のおかげだろう。かつて、そこに、

    韓国のコンテンポラリー写真事情 ― 2010年代を中心に:写真以降(3)ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻 文:紺野優希|FOUR-D note's