はじめに 『「知ったかぶりは不可避」、「全てがなんちゃって理解」、「絶対的真実は無い」だけで考察を終わらせるものなのか。 - はっはっは』に対して、id:tkt8からコメントがあった。このはてなブックマーカーの計200文字のコメントでは、どれほどこの記事の背景にあるシステム理論、意味論、差異理論、形式演算の現象学、様相論理学、数論を理解しているのかは、到底わからない。 が、『はてなブックマークには、無知な弱者を無知な弱者のまま包摂した状態で啓発的な「会話」を可能とする「弱者の松葉杖」として期待している。(『開き直ったネガティブはてなーあるいは梅田望夫さんへ』を読んで) - はっはっは』を前提にすれば、<丁度良い>ので応答しておこう。そもそもid:tkt8は、コメントの文末が「〜だろ」とつけあがっているブックマーカーであり、面識も無いにも拘らず「ぽまさん」と敬称で呼ぶ無礼者なのだから、こちら
さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で
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