情弱というのは、自分のクラスタとは異なる知の形態を持つ人間への蔑称である。そして同時に自己保身の裏返しである。自己の所属する世界が正しいという保証がほしいから、己の理外のそれへ、そんなものも知らないのかとレッテルを貼り、安堵しようとする。 TVのエンタメを嫌悪し2chまとめブログを見る人間が、その逆の人間を情弱と(一方通行ながら)呼ぶとき、そこには自己のクラスタへの賛美、翻っては自己の選んだインターネット的な知の形態への賛美が含まれるのだ。その点において「情弱」と「異教徒」は同じ言葉だったりする。 まあ、前提として、僕はその選択が必要なときインターネットを選んだならば同意するような人間であるし、このブログを目にする人間の大半は、程度こそあれ、その手合いの人間だろう。ようこそ、インターネットは我々の世界だ。 ということを踏まえて、前日の僕は、「意識が高い学生」にNOと言う。或いは「若者」の時