結論として、生きている意味は以下の2点に集約されると思う。 友人や恋人、家族など身の回りの人たちと良い影響を与え合うこと。子孫、あるいは社会的な功績を残し、自らが生きた証を後世に伝えること。友人や恋人もおらず独り身で、毎日どうでもいい仕事をしながら自分で自分を養うだけしかできない我々は生きている価値が無いのだろう。 資本家に搾取されるだけの人生。それだけだった。
イスラム教のモスクに、酒や豚肉を持ちこもうとしたら拒否されるだろうし、女性が露出の多いファッションで入ることも拒否されると思う。 ここではイスラム教の価値観が絶対視されていて、それにもとづく作法が強制されている。異教徒は客人として扱われ、その作法に従わないときは排除されるだろう。これは「差別」である。 私は他者危害にならないかぎり「差別する自由」を擁護する。イスラム教徒がモスクの中で異教徒を差別してよいと思っているし、それは当然だ。 同様に、キリスト教の教会はキリスト教徒のために存在し、仏教の寺院は仏教徒のために存在すればよい。そこに市民社会のルールを持ちこむべきではない。 大切なのは政教分離の徹底と、信教の自由である。 「嫌なら出ていけ」「差別されたくないなら退去せよ」というのが原則だろう。 参考 「差別からの自由」は「差別する自由」に優先する。よって「差別する自由」などというものはない
刺青への偏見が強すぎる。 個々の好き嫌いの話なのに、それを社会的に認められないのはなんでなんだろう? まず最初にはっきりと確認しておきたいのは、不快に思う人が多数派だってことを根拠に法規制するのは、法治主義の危機だと思う。今そういう動きがあるのはとても残念。 偏見については、多様性を否定する論に賛同する人が多いのかな? 「ヲタトゥー」の記事で星を集めてたブコメを眺めてたらデマや偏見だらけで滅入ってしまった。 タトゥーに対して不快感を持っても構わないんだけど、タバコの副流煙と違って実害は無いよね?偏見からくる不安はあっても、終電の泥酔客と違って実害は無いよね? その割に偏見が根強いのはなんでなんだろう? 反社会的勢力に与してなければどう? 露出しない部位ならどう? 反射的に嫌悪感を持つのはしょうがないけど、もう少し冷静に考えるべきじゃないかな。 以下追記まず、トラバやブコメしてくれた方々あり
「自分」は禁止とする。 からあげクンの「クン」なんか嫌い。臭そう。 なんでカタカナなんだろう。 ドンキで流れてる曲の「ジャングルだー♪」の合いの手臭い。あの曲が聴きたくないのでドンキには絶対行かない。 広島東洋カープの応援歌の途中で表拍と裏拍が逆転するところこれは説明が必要かもしれない。 「カープっカープっカープっひろっしまっ ひぃろしぃまぁカーぁープー」 2拍でこぶしを振ってみればわかるが、「まぁ」が邪魔で、次の「カー」がそれまでの「カー」と逆の拍になる。 もやっとする。 街灯の無い夜の海辺で1人佇む怖い。地球の大きさをまざまざと感じる。 雉鳩の鳴き声「ででーぽっぽぽー」ってやつ。小さい頃はフクロウだと思ってた。 「ででー」でやめられるともやっとする。 リバースモーゲージ字面が突き放した感じがして嫌い。 意味を調べてもさっぱり頭に入ってこない。 最近の100円ライター子供の誤射(?)防止
https://anond.hatelabo.jp/20170819083313 塾講師なのでキラキラネーム読解にはかなりの自信がある。 そんな私に言わせれば、羽奏=わかなはまだ標準レベル。 なのでみんな読めたほうがいいんじゃないか。 こういう名付けの是非についてはいろいろ議論もあろうかと思うが、今後キラキラネーム勢が社会に進出してくることは確実なので、この程度が読めないようでは老害の烙印を押されることは必至。 というわけで、以下の原則をマスターしてキミもキラキラネームマスターになろう! 大半のキラキラネームは意外に常識的だと心得るキラキラネームには大きく2つのパターンがある。 ①読みは普通だが漢字の当て方が変 ②漢字の当て方は普通だが読みが変 「羽奏」のばあい、読みの「わかな」は普通なので①というわけ。 ①+②の最終形態になるともはやどうしようもないが、①か②のどっちか片方である=読みか
ホテルチェックアウト時に『部屋をきれいにして出る』っていうのはやめましょう。 使ったものは「使いました」と分かる状態にしておいてください。 https://togetter.com/li/1140645 ---- 上記棘で「パッ見で未使用なら交換しないの?」とか「ベッドメイクをしないのか!」という意見が散見された為、 とりあえず『現場ではこうやっているよ』というのを書いてみます。 私は弱小チェーン系列のビジネスホテルに勤務しています。 現在はフロント業務に従事していますが、研修段階で数ヵ月間のハウス業務を経験し、 現在でも人手が足らない時や繁忙期には客室清掃を行っています。 自チェーン内でのみ観測範囲ですが、弱小チェーンで以下の対応なので、大手や有名どころシティホテル関係はコレ以下って事はないと思います。 客室は清掃終了後にチェックを行っています。インスペクションという清掃チェックを持ち回
と僕は妻に言った。 妻はショックを受けた顔で、「あなたがそんなことを思っているなんて。私に対しても、子供に対してもそう思っていたの?」と聞いた。 僕はもう一度「でも、妥協しないと結婚できないよね」と言ったら、妻は「まあそうね。常に更なる高みを目指すのならば結婚なんてしないもんね。」と言った。 僕と妻はそういう話をする間柄だ。 僕は妻を愛している。と文章にしたら恥ずかしいんだけれども、多分、愛していると人に言いきれるぐらいには愛している。 同じぐらい、子供を愛している。こっちは恥ずかしくはないけれども、多分子供を愛しているのは当然と言う世間の目があるから、すんなり書けるんだと思う。 妻とは大学のサークル時代からの付き合いで、僕は何年もかけてアプローチをかけて、大学を卒業、修士、社会人となってすぐに結婚した。 今では10年を超える付き合いだ。 僕にとって彼女との結婚は当然のことと思えるぐらい、
3ブクマ集まりはてなブックマーク新着に載った増田をブクマするブクマカーはたくさんいるが、 増田に常駐してて初ブクマするブクマカーは実は数えるほどしかいない。 大抵のブクマカーはすでに話題になっている増田でいかに上手いことを言うかを競っているだけだ。それは与えられた大喜利に答えるだけ、受動的で創造性に欠ける行為だ。 その大喜利を仕掛けている者がいる。 そう、私たち増田ソムリエである。 増田ソムリエは、未ブックマークの面白い増田を、自らの目利きを信じて初ブクマする。 そして、それが当たると後からワラワラとハイエナのように有名ブクマカーがやってくる。そいつらは自らの人気を利用してはてなスターを集める。しかし、本来評価されるべきは初ブクマした増田ソムリエなのだ。 ブクマカーたちよ。増田ソムリエにもっとスターを送るんだ。最初のブクマが無言ブクマであろうと関係ない。 「この面白い増田を見つけてくれて、
W杯、日本は残念ながら健闘しているとは言いがたい。 力の差を見せつけられた、というよりは実力があるにも関わらず結果がついてこなかったという感じ。ジメジメした敗戦(+引き分け)だ。 にも関わらず、試合後の渋谷は能天気に騒ぐ若者で溢れかえっている。 そしてネットは、そんな彼ら彼女らへの嫌悪感で溢れかえっている。 なるほど確かにどんちゃん騒ぎのどさくさに紛れて女性の胸を揉む、なんてのは当然法律で然るべき処罰を下すべきだし、内実のない盛り上がりは見ていて気持ちのいいものではないだろう。 しかし僕が気になるのは、ネット民あまりに過剰な叩きっぷりだ。 単にその事象に違和感を表明している、というよりはこれを叩くことで何かもっと大きなものに対する異議申し立てをしているように思えてならない。 ちなみに、最近の邦画批判に対しても同じようなドス黒いエネルギーを感じる。 一体これはなんなんだろう?心当たりがある人
ここ数年怒らないのをモットーとしている。 怒った所で自分も相手も疲れるだけで良い部分はひとつもないから。 逆切れしたくなる所を先手を打って謝り、怒らせた私が悪いと詫びるようにした。 (怒ると叱るは区別したうえで) そうした自制を続けていると、他人に対してイライラする事がなくなった。 心に余裕ができたつもりでいたけど、やっぱり何かつっかかる。 イライラが減ったとはいえ、同じ相手に些細なことで何度も怒られるとさすがに腹が立ってくるわけで、 「なんでこの人こんなに怒るんだろう、しんどくねえのかなあ」くらいには思うわけだ。 で最近ようやく気付いた。 人に対する感度や要求が減ったんじゃないかと思い始めた。 自分が怒らないでいるデメリットとして、人間的な感性の一部を欠落させているのではないかって。 もともと感情表現が下手なのも相まって色々失っている気がする。 本当の意味で心を楽にしたい。
http://www.nytimes.com/2011/01/28/world/asia/28generation.html 敬称略。 東京 ― ホリエケンイチは有能な自動車エンジニアだった。日本ではこのような若い人材が、ハングリー精神あふれるライバルの中国や韓国と渡り合い、現在の地位を保つために必要とされている。30代前半のとき、彼は主要自動車会社に勤めており、先進的バイオ燃料のデザインによって評価を得ていた。 しかし、多くの日本人のように、彼は非正規労働者だった。時限付き(temporary)契約のもとで、雇用保障もほとんど無く、そのほとんどが40代後半である正規労働者に比べて半分の給料しかもらっていなかった。彼は10年以上正規労働者になろうと努力したが、ついに辞めた。時限付き契約だけではなく、日本そのものを、である。 2年前、彼は中国語を習うために台湾に移り住んだ。 ホリエは語る。「
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52373634.html これを読んで色々思うところがあった。 僕は一応フリーのデザイナーとして飯を食えているので、たまにデザイナー志望の子から「デザイナーになりたいんだけど」みたいな相談を受けたりするんですが、ほとんどの場合、本音は「向いてないからやめときな」ってことなんだけど、どうやってそれを伝えるか、夢を諦めさせるかっていうのは非常に慎重に言葉を選ばなくてはなりません。 なので、高校生くらいの子にどうやったらできるだけ傷つけずにそれをうまく伝えられるのか、ちょっと考えてみたわけです。 はっきり言ってしまうと、好きなものを仕事にしている人というのはどこか頭がおかしいんですよ。頭が悪いという意味ではありません。むしろ大半の人は賢いです。アニメーターでも漫画家でもそうですが、基本的に大半の人が常軌を逸し
99%の人はちゃんとしてるんです。 1%、いやそれ以下かもしれないんだけど ごく少数のカスが居て、 ごく少数でも凄く目立つし気になるんです。 それぐらいそいつ1人で甚大に邪魔だから。 発車しそうな電車に乗り込めたら 「あーよかった」とそこで立ち止まる。ドアのとこで。 それですぐ後ろの同じように乗り込みたい人達の邪魔になってても気付かない。 ホームへの狭い階段を下りていて、 自分の目当ての方向の電車がまだ出そうになければモッタリモッタリと階段をふさいで歩く。 反対方向の発車しそうな電車に乗り込みたい人達が後ろで詰まってても気付かない。 周囲や流れを全く意識せずに歩いており 無意味にフラフラ横に流れたり突然立ち止まったりして 後ろから追い抜こうとする人を面食らわせる。 携帯やiphoneを見ながら歩いておいて、 前や横に対する注意力がなく、人や物にぶつかりそうになるたびフラフラ車線変更をし 前
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