おとといの8月12日は日航ジャンボ機事故から25年の区切りの日であった。 日航ジャンボ機事故から25年、つまり、ボクが入社してから25年が経ったことになる。 そう、ボクはあの年(1985年)にいまいる会社に入社し、大阪支社に配属になった。そして5月に赴任して3ヶ月でこの事故が起こったのである。大阪支社からは7人の犠牲者が出た。 たった3ヶ月ではあったものの、同じ部署(クリエーティブ局)だった上に、それなりに親しくさせていただいていた方が2人亡くなった。 永田晶令さん(当時53歳)。大学の先輩だったので「おぅ後輩!」とランチに何度か連れて行っていただいた。ガラガラ声の豪快のおじさん。須貝和郎さん(当時38歳)。この方は名物社員でのっしのっしと社内を歩き回っては新入社員にヘッドロックをかけたりしてかまってくれた。ホント、ふたりとも叩いても擂りつぶしても死なないようなタイプの人だったのだけど…。

