任天堂の社長だった岩田聡さんが、55歳の若さで亡くなられたのは、2015年7月11日のことでした。 僕はファミコン時代から、岩田さんが作った『ゴルフ』や『バルーンファイト』『ピンボール』に夢中になっていましたし、HAL研究所という小さな会社から、抜擢されて任天堂の社長になった岩田さんのサクセスストーリーと、そんな凄い人であったにもかかわらず、いつも静かに微笑んでいる姿に親しみと憧れを抱いていたのです。 こんなリーダーの元で働くことができたらいいのになあ、あるいは、自分自身も、岩田さんのような人に少しでも近づきたいなあ、って。 『岩田さん: 岩田聡はこんなことを話していた。』(ほぼ日刊イトイ新聞・編/ほぼ日ブックス)は、岩田さんの言葉や、岩田さんをよく知っている人たちが、岩田さんについて語ったことを集めた本です。 岩田さんは、糸井重里さんと長年親しくされていました。 糸井さんたちがつくってい
![素晴らしいことに、任天堂の岩田聡さんは「人間を説得して動かすのも、プログラミングと同じこと」と考えていた。](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b66f7380655c5773895903abc7992f9812785641/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2019%2F10%2F2876227123_56907855f6_o.jpg)