オリンピック開催を翌年に控えた二〇一五年の正義も悪もない東京大殺戮劇。 著 深町秋生 宝島社 [ミステリー] 国内 2008.08 版型:B6 >>書籍情報のページへ 北京オリンピック、盛り上がっていますね。しかし、調子に乗って東京にオリンピックを招聘するのは止めてくれないかなあ。私が住んでいるあたりでは地下工事が準備されており、やがて首都高速道路中央環状品川線が走る予定である。すでに開通している新宿線の工事時に私は随分取材をさせてもらったのだが(グラフィック社から出ている『トーキョー・アンダー』の取材です。これ、宣伝ね。写真は土門拳賞に輝いた内山英明さんだ)、交通量計画の中にオリンピックのオの字も出てこなかったと記憶している。都知事はオリンピックを見越しての都市計画だとよく言うけど、どこまで信用していいものやら。お祭り騒ぎを利用して地価を上げたいだけ、という気がするのだけど。 深町秋生
「コッポラの胡蝶の夢」のパンフに、コーマン門下生時代のフランシス・コッポラについて書きました。 1960年代初め、ハリウッドのメジャー・スタジオは閉じられていた。 監督やカメラマンなどスタッフの平均年齢はほとんど60歳を越えていたにもかかわらず、大卒の募集は行われず、わずかに縁故採用があるだけだった。 いっぽう、全米各地の大学にはようやく映画学科が設立されていった。大衆の娯楽だと思われていた映画は、フランスで芸術として評価されるようになり、その影響がようやくアメリカに及んだのだ。コッポラもUCLAの映画学科で学んでいたが、何のコネもない彼にとってハリウッドに入るのは不可能に近かった。 まず自主制作で映画を撮ってポートフォリオにしようにも、当時まだ8ミリ映画の機材はまともな映画を作れるレベルには達していなかったし、学生の自主映画を評価してくれる映画祭なども確立されていなかった。そんな状況で、
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