1970年5月、アムステルダムIOC総会において、1976年のオリンピック冬季大会にアメリカのデンバー市が選ばれた。デンバーはコロラド州ロッキー山脈の麓にある人口100万人の山岳都市。 正式決定した直後から、自然破壊と経済上のことなどを理由にしてコロラド州民による反対運動が起こり「コロラドの未来のための市民連合(CCF)」などが結成される。 「黒い9月事件」のミュンヘンオリンピックが終わって2か月後の72年11月、大統領選挙と同時にコロラド州とデンバー市では、「州民の税金を支出することを禁止する州法の一部改正」についての投票が行われた。結果はCCFの提案が過半数を超え、州政府から補助金の支出が不可能になり、連邦政府からの補助金もストップ。このため、11月14日、オリンピック組織委員会はIOCに対して大会を返上した。 つまり、反対運動が起こした住民投票により、(冬季だとしても)オリンピックを
〈特定団体への協力依頼について〉──こう題された社内メールを受け取った大手旅行代理店「JTB」グループの中堅男性社員が明かす。 「任意の協力とはいえ特定の候補者の応援署名を集めろというのは入社してから初めて。しかも、それが創価学会からの要請で公明党を応援するというんだから驚きました」 文書は11月27日付で、JTB取締役旅行事業本部長の名前で社員向けに送られた。文書にはこうある。 〈国内研修会をはじめとした各種需要を頂戴している創価学会様より、支援政党である公明党への支援要請がJTBグループにあり、営業政策上の観点から各事業会社においても可能な範囲での協力を求められております〉(以下、〈 〉内は文書から抜粋) まず東京・神奈川・千葉に住む社員には比例代表向けに〈公明党の政治活動を支援します〉と題した用紙への署名集めを、太田昭宏国交相と前職の上田勇氏がそれぞれ出馬した東京12区と神奈川6区の
赤瀬川原平自画像(スケッチブックより)2002 お札、缶詰、壊れたポット、家具、ペット・・・果ては自邸「ニラハウス」に至るまで、日常生活を構成するあらゆるものを独自の視点と観察行為によって、〈梱包〉や〈トマソン〉に代表される「作品」へと昇華させてきた美術家・赤瀬川原平。 自身と娘の生活をテーマにした『肌ざわり』や、父の死により墓所を見学する様子を描いた『父が消えた』によって、私小説作家として文壇に登場した作家・尾辻克彦。 実は同一人物である美術家・赤瀬川原平と作家・尾辻克彦の創作の根底には、冷静な観察者としての姿勢と、「価値の転換」「日常の異化」への共通した意識があります。それらは、辞書の用例の中に個性を見出し、愛すべき人格を与えた『新解さんの謎』や、もの忘れや脱力を積極的に肯定する「老人力」シリーズなどのエッセイを通じて顕在化し、常に新しいユニークな「ものの見方」を我々に提示してきました
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