3月2日土曜日午後、「地方城下町における町方文書の成立─文書は何故残ったか、残るのか─」と題して、史学科・菅原憲二先生の最終講義が行われました。先生の専門は日本近世史ですが、長年愛媛県や京都府での古文書調査を継続して来られており、毎年夏休みに合宿形式で実施される宇和島や舞鶴での集中講義「古文書調査実習」は史学科の名物授業の一つでした。 さて、この最終講義のテーマでもあったのですが、文書はなぜ残るのでしょうか。一言で述べるならば、それは文書を残そうとする人々が居たからなのだ、というのが結論です。たとえば水濡れの痕跡を持つ検地帳が現在まで守り継がれてきたケースがあるのですが、これは水濡れに遭ったにも関わらず幸運にも残っていたわけではなく、大火の際などに万一の消失を防ぐため井戸に投じ入れられてきたからです。ではなぜ検地帳をそうまでして守らねばならなかったのでしょうか。それは隣村との境界争いに際し
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