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ブックマーク / www.asukanet.gr.jp (1)

  • 暴虐の大君

    諡号と言うのは、その天皇の治世に対して死後贈られた評価とも言えます。 例えば、殉死を廃止したイクメイリビコは「垂仁」、家々から立ち上る煙が少ないので三年間の苦役と租税を止めたオホサザキは「仁徳」、自らの血統を顕わしたヲケは「顕宗」と諡されています。 ヲハツセワカサザキの諡号は「武烈」です。「武」はともかく、苛烈とか峻烈とか、烈火のごとくという使われ方をする「烈」と言う字にはあまりいいイメージがありません。 この大君は何故、このような諡になったのでしょうか? 「古事記」に於けるヲハツセワカサザキの事蹟は、実に短いものです。 長谷の列木宮に坐して、治世は八年、御子がいなかったので、小長谷部を定め、御陵は片岡の石坏にある。‥‥とそれぐらいです。 ところが「日書紀」の方はかなり詳しく書かれています。 「オケ七年に皇太子として立たれ、長じて罪人を罰し、理非を判定する事を好まれた。法令に通じ、日の暮

    throwS
    throwS 2008/12/03
    あの方のコトかと思った。・・・ウソウソ!
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