組合員OB有志によるブログ This Page is Japanese Animation labor union's Weblog. We point out the problems of the Japanese animation. 特定秘密保護法は国際人権規約・ツワネ原則・憲法に全違反。NO WAR by anirepo
![アニメ会社へ集団指導 新宿・池袋 労働基準監督署 | ネット版 アニメレポート -Anime Report-](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/abad1d41975c427108bc744467a246de75dd9e3a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpds.exblog.jp%2Flogo%2F1%2F200501%2F03%2F39%2Fc002453920150721045915.jpg)
2月28日、映画・放送・演劇・テレビ・アニメ関連の複数の労働組合は、共同で都内テレビ局(民放キー局)に対し、アニメーションを含むテレビ番組関連の制作現場改善を求める申し入れを行ないました。この行動は毎年春と秋に行なっており、今年に入ってからは初の申し入れです。 (昨年秋の申し入れ時は、アニメレポート編集部が仕事のため同席できずレポートできませんでしたが、それ以前の記録は左の検索ボックスにより過去の記事を見つけることができます。) 映産労が都内テレビ局に制作環境改善の要請を始めたのは1970年代。民放労連・映演共闘などと共同で要請文を局内で直接手渡すようになったのは1980年代。テレビ局と現場スタッフの懇談・意見交換の場として機能しはじめたのは1990年代後半からです。 (昨年(1年前)の要請行動の最終日は3.11の当日でした。最後の申し入れが終了し数時間後に東日本大震災が発生しました。)
映産労(映像文化関連産業労働組合/旧:日本映画放送産業労働組合)は、1965年に結成された労働組合法にもとづく個人加盟(オープンショップ)の労働組合で、映像・文化関連の仕事で働く人なら誰でも加入できました。2019年1月に高齢化その他の理由により、解散となり、現在は、元組合員OB有志が研究団体と情報発信の場として継続しています。 1960年代、ガリ版刷りのペラのレポート発行に始まり、1975年には、不定期の「アニメれぽーと」(B5版冊子)が初めて発行。商業アニメーションの現場で働く、オープンショップ組合員たちの手によって発行された、日本ではじめての本格的・小冊子の登場でした。 制作現場の実態を、誰にもわかりやすく伝え、改善の手立てにする目的で、発行は1980年代の半ばまで続きました。多くのアニメ研究が政治の問題をタブー視するなか、アニメ現場の問題点は政治問題と繋がっているという視点を外さず
映産労(映像文化関連産業労働組合/旧:日本映画放送産業労働組合)は、1965年に結成された労働組合法にもとづく個人加盟(オープンショップ)の労働組合で、映像・文化関連の仕事で働く人なら誰でも加入できました。2019年1月に高齢化その他の理由により、解散となり、現在は、元組合員OB有志が研究団体と情報発信の場として継続しています。 1960年代、ガリ版刷りのペラのレポート発行に始まり、1975年には、不定期の「アニメれぽーと」(B5版冊子)が初めて発行。商業アニメーションの現場で働く、オープンショップ組合員たちの手によって発行された、日本ではじめての本格的・小冊子の登場でした。 制作現場の実態を、誰にもわかりやすく伝え、改善の手立てにする目的で、発行は1980年代の半ばまで続きました。多くのアニメ研究が政治の問題をタブー視するなか、アニメ現場の問題点は政治問題と繋がっているという視点を外さず
機器を操作する人間の問題 今のように、ビデオやパソコンが広く普及する前、主に8ミリフィルムが、手軽な映像メディアとして、広く普及していました。 8ミリフィルムは、16mmや、当事高価だったVTRなどに比べて、安価で手軽であり、映画や家族の記録を撮る人が多く存在しました。 市民会館など、地域や学校、各関係組織・団体では、積極的に発表や上映会が行われ、8ミリフィルムや機材を販売していた会社のひとつ、富士フィルムや、テレビでドキュメンタリーなどを多く制作していた日本テレビなど、様々な企業が8ミリフィルム作品のコンテストなどを行っていました。 「小型映画」という月刊誌をはじめ、初めて家庭で映画を作る人向けに、様々なハウツー・情報本なども多数販売されていました。 その時からすでに、8ミリカメラは軽量で、いくらでも自在に動かせるが、PANやZOOM等は、あまり早くし過ぎないように、という注意文は、必ず
毎年行なわれるテレビ東京と労働組合側の懇談(制作改善の要請行動)の中で、たびたび「ポケモン事件」の、歳月の経過にともなう風化が問題になります。 もういちどここで当時のことを振り返ってみたいと思います。(資料提供と執筆協力は研究家の岸野さん、BCAAPの皆さんによるものです) ポケモン・ショック 1997年12月16日、テレビ東京系で放送されていたテレビアニメ「ポケットモンスター」38話を見ていた視聴者が光過敏性発作などを引き起こして、次々に病院に搬送されるという事件が起こりました。大半は子供で、700人以上が病院に搬送され、100人以上が入院しました。18日付けの警視庁のまとめでは30都道府県で体調不良708人以上、入院者は130人と発表しています。 テレビ東京はじめ、製作会社、スポンサーの任天堂などは、原因が解明されるまで、ポケットモンスター、いわゆるポケモンの放映を急きょ中止し、ビデオ
「新婦人しんぶん・1906号」の文化欄では、「現代アニメ事情/夢いっぱいのアニメがいいナ/なぜCMやキャラクター商品?制作現場は?」と題して、以下のようにアニメの問題点を取材し、報じています。まとめと()内の注釈・補足はアニメレポート編集部。 ----------------------------------------------------------------- ◆週に40本以上のテレビアニメが放送されている。テレビアニメには「キャラクター商品」が付き物。CMが入ると「あれがほしい」、店に入ればキャラクター付きの商品を「買ってほしい」と母親はいつも子供にせがまれる。放送中の「ちびまる子ちゃん」のキャラクター商品は300種以上である。 「テレビを見ているとおとなしくて助かるけど、ほっておくと1時間も2時間も見る。ちょっと(アニメ)番組が多すぎるのでは」 アニメを製作・放送する側は「
当時の「アニメれぽーと」には、こう書かれています。 「この8年間に制作費(受注単価)は1.9倍、平均賃金は3.6倍(になった)。 それでも、虫プロ労働者の賃金は世間の水準以下であった。 この賃金の上昇テンポと制作費の上昇のテンポの歪みが、外注の増加を生んだ」 これは36年前の記事ですが、この状況は、現在でも同じです。 違う事といえば、「労働者の雇用」という文字・言葉・発言が消え「フリー・スタッフへの業務委託」という名目に変わった事、アニメ制作企業に支払われる、番組制作費の支払元の呼称が、「放送局・代理店・スポンサー」から、アニメ利益複合体である「製作委員会(Projectとも呼称)」に変わった事、そして「日本のアニメは儲かる」といった神話が生まれた事ではないでしょうか。 「いざとなったら海外丸投げ」から、「最初から海外丸投げへ」 安い賃金、もしくは報酬で働かせられている現場スタッフ(巨大な
(1990年夏頃、アニメ制作各現場に配布された署名用紙) アニメーションに関わるすべての人々に向けた、アニメーション事業者協会による初めての「制作費大幅アップを要望するアピール文」、そして署名用紙が見つかりました。 1990年、アニメーション制作会社・38社が練馬に集結 映産労(アニメーション共闘会議)や映演共闘などアニメーションに関係する労働組合は、1980~1990年にかけ、労働者・未組織スタッフの組織化だけでなく、事業者(アニメ制作会社)自身も、国・自治体ほか、様々なセクション間で生ずる問題処理(著作権問題含む)の「受け皿」となるよう、団体を作る必要がある、と、意見交換したり、現状分析をしたりするようになりました。 組合と事業者らは、石神井庁舎会議室など練馬区内の会議室を借りながら、何回も話し合いを重ねていきました。 そしてついに1990年7月、「アニメーション事業者協会」が発足しま
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