タグ

ブックマーク / blog.tinect.jp (6)

  • “正直”と“誠実”は、まったくちがうという話。

    紙ストローってなんか味が変になる気がするんだよね。プリントみたいな味がする。 誰かが放った紙ストローへの悪口はその喧騒へとすっと溶け込んでいった。 当たり前のように放たれている言葉だが、それは少しだけ様子がおかしい。 プリントみたいな味だなんて、プリントをべたことがあるやつしか分からない感覚だ。それを知る人は少ない。妙なことを言うもものだと印象的だった。 昼下がりのカフェは少しだけ賑やかだ。 「なんか今日はめちゃくちゃ混んでるね!」 彼女は褐色のアイスコーヒーグラスが乗せられたトレーを両手に持ち、いそいそと対面の席に腰かけた。 「それでね、さっきの続きなんだけど、すごいのよ、マッチングアプリは」 注文前に話していた話題の続きとばかりに話し始めた。正直、まだその話題が続くのかと少し笑ってしまった。 彼女はいつも煮詰まると僕に声をかける。 前回に会ったときは離婚を考え始めた頃だっただろうか。

    “正直”と“誠実”は、まったくちがうという話。
  • 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。

    「恩師」の意味を「人生全体に渡って、大きく影響を及ぼす程の薫陶を受けた人」と定義した場合、私には恩師と言って良さそうな人が二人います。 一人は、小学校の3年から4年の時に担任をもってもらったH先生。 もう一人は大学の専門課程、国語学研究室でお世話になったS先生。 H先生については、人生の選択に関わる重要な示唆を色々と頂いたなーと思っていて、例えば昔この記事で書いたんですが、 忍者ハットリくんが、私の人生を大きく変えた、という話。 「ファミコンの忍者ハットリくんに巻物が出てきてかっこいいから、物の巻物にも触ってみたい」 と素っ頓狂なことを言い出した私に、 「巻物は大学行かないと触れないよ」と答えて、さり気なく「大学=巻物」という刷り込みを行ったのがH先生です。 多分私、この教えがなかったら大学行ってませんでした。 上記の記事でも書いた通り、私は大学での専攻として、「巻物に触りたいから」とい

    大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。
  • 深まる秋に、50代の身の振りようを思う

    ひと雨降るごと、秋が深まってゆく。 道端で、咲き誇る彼岸花や蝉の死骸を見るたび、私は少し憂になる。 つまり夏が終わって冬の足音が聞こえ始めたのだ。 コオロギやスズムシは今が最盛期だが、やがてそれらも絶えてゆくだろう。 死の横溢する冬の到来はどうにも避けられない。 人気ビジュアルノベルゲーム『月姫』には、”直死の魔眼“というものが登場する。 主人公・遠野志貴の目には万物の死、それも概念としての死が見えてしまうという。 その目を駆使して遠野志貴は危機を切り抜けてゆくのだが、そんなものが四六時中見えてしまっては正気ではいられない。 『月姫』は、そのさまもよく描いていた。 しかし平凡な私たちでも、秋から冬にはさまざまな死が見える。 芽吹きの季節や盛期があるだけでなく、秋の衰えと冬の死がやってくることを、四季は私たちに示唆してやまない。 思秋期、という言葉がその最たるものだが、洋の東西を問わず、人

    深まる秋に、50代の身の振りようを思う
  • 「ネット断ち」をした僕が選んだのは、「ひたすらダラダラすること」だった。

    長年、「ネット依存」だった僕なのですが、最近、「ネット離れ」に取り組んでいます。 とくに「なるべくネットニュースや、ネットで話題の記事をクリックしないように」しているのです。 『News Diet』(ロルフ・ドベリ著/サンマーク出版)というに、こう書かれていました。 あなたがこの1年でむさぼり読んだニュースは、およそ2万にのぼるだろう。控えめに見積もっても、1日あたり約60は読んだことになる。 正直に答えてほしい。そのなかに、あなたが自分の人生や家族や、キャリアや健康やビジネスに関して、よりよい決断を下すのに役立ったニュースはあっただろうか。そのニュースを読んでいなかったら、下せていなかったと思える決断はあるだろうか。 私がこの質問をした人のうち、2以上のニュースを挙げられる人は誰もいなかった。年に2万ものニュースを読んでいるというのに、である。なんという関連性の薄さだろう! 私

    「ネット断ち」をした僕が選んだのは、「ひたすらダラダラすること」だった。
  • Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。

    鬼滅の刃」が絶好調だ。 あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わけわからんコラボグッズが出たり、とんでもない状況だ。 見ると、町ゆく子どもたちのマスクまでどこかで見たような柄のものになっている。 これはもう社会現象と言っても過言ではないのだろう。 この「鬼滅の刃」はすごい。 たぶんどえらい作品だ。 そんなもの詳しくなくても分かる。 ただ、「たぶん」と表現しているのは、実はまだ観たことがないからだ。 そう、僕はこの作品に全く触れていないのだ。 原作も見てなければアニメも見ていない。もちろん劇場版も見るつもりはない。 やはり、たとえ末端といえども文章を書いたりして表現活動をしている者として、こういった作品は必ず抑えておく必要がある。 社会現象は多くの人に

    Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。
  • 「コツコツ努力できる人」は前向きでも、モチベーションが高いわけでもない。自動的に動いているだけ。

    コツコツ積み上げることは大事。よく言われるだろう。例えばこんな具合だ。 「毎日英語の練習をしよう」 「毎日記事を書こう」 「毎日お客さんに手紙を書こう」 だが、実際にやりだすと、 「うまくなっている実感がわかない」 「アクセスが伸びない」 「時間がない」 と、1ヶ月も立たないうちに諦めてしまいがちだ。頭で理解はしているが、体は動かない。これが人間の悲しい性だ。そのため「努力は、つらいことだ」というイメージが生まれ、手っ取り早く結果を出せるワザが人気を集める。 だが、時間をかけなければ成し得ないことも数多くある。 例えば人の信用を得たりすることや、高度な技術、卓越した知性などは多くの場合、気の遠くなるほどの数の基礎を少しずつ積み上げた結果の頂点に置かれた「キャップストーン」なのである。 そして、そこで重要なのは、「積み上げる」という単調で結果を実感しにくい仕事をいかにコツコツ続けるか、という

    「コツコツ努力できる人」は前向きでも、モチベーションが高いわけでもない。自動的に動いているだけ。
    ticcho
    ticcho 2016/07/03
  • 1