2010年1月5日のブックマーク (4件)

  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―3)

    1997年の市民投票以来、新基地建設への反対と条件付賛成派に二分され、選挙のたびに名護市民は戦ってきた。「過去3度の市長選で民意は出た」と島袋ヨシカズ市長はいうが、基地を押し付ける政府ですらが見直しに入っている辺野古移設に固執するヨシカズ市長らの姿勢は基地の「誘致派」としかいえない。 これまでみてきた名護市の歴史を振り返りながら、現在・未来の名護市を展望して稿を終える。 1970年に一町四村が合併してできた名護市は、復帰そして海洋博という世替りと開発の荒波に対して「地域主義」を掲げ、自然保護と生活・生産基盤の確立、住民自治を原則にまちづくりをはじめた。70年代から80年代半ばまでは名護市の「基盤整備期」といえるだろう。その時期に名護市総合計画がもっていた「足元を掘る」精神は、ハードとしては市庁舎に表現され、ソフトとしては字史づくりなどの形で地域から学び地域に深く埋め込まれていった。 19

    tigerchild
    tigerchild 2010/01/05
    お疲れさまです。葛根湯でも飲んで御身大切に
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―2)

    「逆格差論」から180度転換する比嘉鉄也市政は、1997年に比嘉氏が市民投票の結果とは真逆の表明を行いセルフリコールするまで三期11年間続いた。 この間に、計画された開発事業は第三セクター方式で始まった三共リゾート開発をはじめ、名護湾を活用したウォーターフロント構想など計画策定に大金の税金が注ぎ込まれたが、そのすべてが事業化されず消えた。 唯一、比嘉市政において成立した事業は「名桜大学」の創設であり、継続している事業はずさんな経営体質の問題を抱えたネオパークぐらいであった。 名護市の企画部長であった岸建男氏は名桜大学創設の立役者であり、その功労をもって比嘉鉄也市長が彼を助役にしたのが1994年である。 名桜大学の創設資金は名護市の財政力では到底調達不可能だったが、岸建男氏は1992年に制定されたばかりの「地方拠点都市整備法」を活用し、名護市の財政力以上の有利な借金をすることで資金調達を

  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―1)

    1972年、沖縄の施政権は米国から日国へ返還された。沖縄の各自治体は地方自治法の枠内に入り、それぞれ「総合計画」づくりに着手する。1970年に一町四村が合併して市制施行したばかりの名護市も同様である。 1973年6月に市議会の議決を経て確定した「名護市総合計画・基構想」は、「逆格差論」と呼ばれ注目を浴びた。 沖縄振興開発計画で「格差是正」が叫ばれ、沖縄が官民あげて開発へと突き進む中にあって、名護市は土と沖縄(都市と田舎)の「格差は逆である」というテーゼを掲げ、豊かな自然や地場産業を守り発展させていくまちづくりの青図を描いた。現在なら「内発的発展」というもっともらしい名前をいただいている地域づくりの手法・概念・思想だが、1970年代初頭としてはかなり斬新で画期的な「地域主義」の宣言であった。 名護市がそのような総合計画を持つに至った背景は、土復帰に伴う沖縄島北部の開発ラッシュによる

  • 丸山ワクチンに期待できない理由 - NATROMのブログ

    丸山ワクチンとは、結核菌を熱水処理して作られた、癌に効果があるとされる注射薬である。保険適用はなされていないが、有償治験薬という変則的な方法で使用可能である。丸山ワクチンの評価として、「間違いなく効く」から、「ただの水」というものまで、幅広い意見がある。私は、丸山ワクチンに薬効が証明される可能性はきわめて小さいと考えている。その理由は、40年近く35万人以上もの症例に使用されてきたにも関わらず、効果を示唆する証拠がほとんどないからである。 「間違いなく効く」という主張は陰謀論とリンクしていることが多い。著明な効果があると仮定すれば、承認されていないのには何らかの理由が必要だからだ。たとえば、以下のブログでは、丸山ワクチンが認可されなかった理由は官民癒着により正当な評価がなされなかったからだとする週刊新潮の記事を引用してある。 ■丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか?(Birth of

    丸山ワクチンに期待できない理由 - NATROMのブログ
    tigerchild
    tigerchild 2010/01/05
    『「血液型と性格に関係があるのかどうか」を検証せず、「なぜ血液型と性格に関係があるのかの理論的説明」を考えてはいませんか。』