SONG | 14:29 | なんだか、いつのまにか春になっている。平日だけど休日。台所を片付け洗濯機を回す。洗濯し終えた服たちをベランダに干していると、光の具合と風の薫りが昨日までと違うことに気付く。嘉数高台に白い雲が浮かんでいる。1945年三月の嘉数の空を思う。地獄の四月を誰が予測しえただろう。沖縄の春は長くはない。あっという間に夏が追い抜く。もう過ぎ去った冬に戻ることはないだろうが、また来る冬が消えたわけではない。日々の暮らしは、凡庸な繰り返しの中で、少しずつ変化していく。それを成長と呼ぶのか、私は知らない。今朝の朝刊では、沖縄の二紙とも一面トップで、辺野古への新基地建設現行案が日本政府により断念されたことを報じる。しかし、辺野古陸上案に、ホワイトビーチ、与勝半島、津堅島だって。エルドリッジや沖縄市商工会の大田テイハン氏が90年代から言って来た事柄である。(大田氏などは名護市の軍民共
「勝訴」ってことですが、まぁ、勝つべくして勝ったわけです。地裁、高裁の判決を読んだり、金崎氏の著作を読むと、いかに都教委が強引なことをしてきたかがわかります。 強引だったことを最高裁が認定した様子は、記事からもわかります。時事通信の記事には「最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は23日付で、都側の上告を退ける決定をした。処分を取り消した一、二審判決が確定した」とあります。つまり最高裁は、審理に及ばないと判断し、下級審の判決を支持したわけです。 都教委の人事における裁量権のはなはだしい逸脱・濫用事案として、判決は、広く共有されるべきでしょう。いまのところあがっているニュースのリンクは、以下のとおり。元校長の処分取り消し確定=養護学校訴訟−最高裁時事通信 2010.02.24 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010022401086 東京都立七生養護学校
上村愛子はなぜ勝てなかったのか?モーグル競技の上村愛子選手が、4度目の挑戦となった今回のバンクーバーオリンピックでもメダルを取れず、4位に終わってしまった。このことは、彼女にとっては非常に悔しく、また忸怩たる思いのできごとであったらしく、彼女自身のブログでこんなふうに自問している。 どうして、こんなにも沢山の人が私を支えてくれるのに なんで、結果は残せないんだろう。 メダルはいつもちょっとのところで届かない。 いま、こうやって、文字にしながらも考えてしまいます。 上村愛子オフィシャルブログ : - そこでぼくは、考えてみた。「なぜ上村愛子はメダルを取れなかったのか?」なぜ彼女は結果を残せなかったのだろう?なぜオリンピックで勝つことができなかったのか? そこで出てきた答は、比較的シンプルなものだった。それは、結局彼女は「勝つことの意味を勘違いしていたのではないか」ということだ。 「自分に勝つ
「自衛」を主張したって無意味です。 - 「あなたは悪くない」別館 性犯罪に関する被害者の感想として、結果「守ってもらえなかった」という表現をしたいのだとおもうのだが根本的な問題として、犯罪をどこまで許容するのか、許さないのかということについて言及しないことには減感作療法、出る杭を打っていればよい的な、根源的なものや根深い「出てない杭」を報道されなければよい的なことにつまりそれ自体が犯罪を誘発させてないかとは思うのだ。 つまり、被害者を生み出したくないのか、うまれた被害者を守りたいのかどっちについて事態を進めたいのだろう。 まあ他人事なので言ってみただけ、なのかもしれない。 なくそうとおもうのなら、国民全員GPS管理で誘拐や性犯罪その他もろもろの問題を解決しインフラ整備によりGDPもあがるといった政策を考えるのもいいかとおもう。ただしえっちなお店にいってる履歴やアリバイ工作がすべてつつぬけに
本館で真弓定夫とか母乳中心主義(エスノセントリズムならぬ、え〜と、マンモセントリズム?)についていろいろ書いたり、調べたりするうちに思ったこと。もちろん今のところ思いつきにすぎないが。真弓の論が、国粋というかニッポンバイザイズムであることは、例の食育本の内容でも、またその出版元が「新風」関連会社であることからも、ひろく知られていることだ。一方、真弓と親和性の高い母乳中心主義的なグループ、たとえば本館で言及した「自然育児友の会」などは、一方で「昔から伝わってきた日本の育児法」てなことに拠りつつ、他方で、オリエンタリズム的というかアジア志向あるいは先住民志向?のようなものが色濃く感じられる。例えば、母乳育児業界から発して、今やその枠をこえた人気商品となっている「ベビースリング」。スリングは、もともと南米の民族が赤ちゃんを抱っこするのに一枚布を 巻きつけたのが起源といわれているようです。その後ア
以前とりあげた「西原式」をちょっと検索していて、またまたスゴイサイトにぶつかってしまった。http://www.sodatsu.com/home.html全部が全部ヘン、というわけではなく、ごく常識的な内容もあるようなのだが。まず、モンダイの西原センセイの「新日本式育児」という連載。これがなかなかスゴイ。正しい育児をすれば、アレルギーやアトピーはもちろん、虚弱体質や、再発を繰り返す中耳炎などを完治させることが可能です。さらに、てんかんや自閉症なども、かなり改善することができるのです。いきなりこの大風呂敷。とくに後段はおおいに問題アリだ。医学的にみて体が完成するのは、24歳ぐらいと言われています。「24歳」って、どういう根拠なんだろう。これに従えば、24歳までは妊娠も出産もNGてことか。しかしこれはまだ序の口。大人の腸に大腸菌がいてもまず問題ありませんが、赤ちゃんの腸は大腸菌などの悪玉菌も吸
12:45ここ1ヶ月くらいにわたって、「セクハラ」一般、及び「水伝騒動」に関連して言及された「セクハラ」を巡って、丁寧に論じていたakiraさんが、「セクシュアル・ハラスメント」とは何か、どういう問題であるのか、をあらためて解説するエントリをあげておられる。セクハラきほんのきこれを一読すると、そもそもの(「水伝騒動」の延長上にある「セクハラ」論議の)発端となった水葉さんのエントリで、揶揄的に言及されていた「『課長〜、それセクハラですよ〜』という程度のもの」をどう見るか、が、「職場のセクハラ」問題のきほんのき、であることが理解できる。そして、そもそも、私も含め、この議論に参加してきた人びとも、そのような認識は漠然とした「常識」として持っていた、と思う。しかし、「カウンセラー」で「フェミニスト」という「専門家」である水葉さんが、いとも簡単に、その常識をひっくりかえしてチャラにするような発言をし
SONG | 12:22 | 今年の一月から、ネット上でのある出来事が気になり、可能な限り追いかけ、ときおり概観などを当日記に書きとめてきた。ある出来事は「水伝騒動」と呼ばれ、「水からの伝言」(水伝)というニセ科学を巡る議論から様々な問題に派生して、現在でも議論や諍いは続いている。諍いの当事者のひとりが、ブログコメント欄等で「これはケンカ」みたいなことを書いているのをみたことがあるが、明らかに“ケンカ”に持ち込みたい方々がいる。そうすることでどうしたいと思っているのかまで忖度する気はないが、“ケンカ両成敗”で自らのセクハラ行為や不当で執拗な攻撃が水に流されると思っているのかもしれない。そのような愚行に付き合う気はしないので、できうる限り、もともと議論が上手なわけでもないのでバトルと呼ばれるような場に直言することを避けてきた。しかし、水伝に関わり、ときおり批判的発言をしてきた者として、批判者
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