来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
●なぜ臓器が足りないのか? そのとき何がおこるのか?(tikani_nemuru_Mさん) 倫理学者の香川知晶さんの論文(思想 No.977 2005年9月号 P6-23)によるとそもそも脳死を人の死とするようになったのは移植に使う臓器が必要だったから(しかも戦後)、ということがアメリカのジャーナリストによって明らかにされているそうです。脳死は文化の違いとかいう話ではないと考えます。うまいことだまくらかして既成事実作って浸透させることができたかできなかったかの差ではないかと。また他の方が指摘していたことですが、移植医療が発達すればするほどドナーが不足するようになるので、アメリカの関係会議では高速道路の速度制限を緩めて事故が増えるようにしてはどうかという冗談すら語られるという不毛な状態が起こります。そしてドナー候補やその家族の人権なり想いなりは忘れ去られ踏みにじられ続けるわけでございます。例
■なぜ臓器が足りないのか? そのとき何がおこるのか?(地下生活者の手遊び)にインスパイアされて、臓器売買について考えてみた。現在の日本において、臓器売買は禁止されている。しかし、臓器売買を明確な悪だと断ずることは難しい。以下のような状況を考えてみよう。 あなたは移植医である。患者Rは慢性腎不全で透析中であるが、医学的には腎移植を受けるのが望ましい状態であり、移植を受けられなければ近いうちに死に至る可能性が高い。あるとき、患者Rは、ドナー候補Dを連れてきて、生体腎移植を希望した。ドナー候補Dは健康で、少なくとも医学的にはドナー候補としては理想的であった。しかし、Dの外見が日本人には見えなかったので、不審に思い詳しく話を聞いてみると、DはRから金銭的な報酬を得てドナー候補になったことを教えてくれた。ことが露見することはまずないし、なったとしても移植医であるあなたは「臓器売買があったなんて知らな
我輩は巷で流行っていた疑似科学批判論争とは全く別様の観点から出発して、『無知な弱者は疑似科学に騙され、科学にも騙される。散々振り回された挙句に最終的には無知のまま形式と表面を戯れる。 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』を書き上げたのだけど、id:tikani_nemuru_Mさんの観察からいよいよ巷の論争と我輩の観点との接続可能性が芽生えだしたのにゃー。 この記事では、まず我輩とid:tikani_nemuru_Mさんの接点を軽く概観した上で、我輩側からid:tikani_nemuru_Mさんの観点をラジカルに補強する主張を投げ掛けてみたいにゃー。我輩とid:tikani_nemuru_Mさんの接点を軽く概観するにゃー 前回我輩が記述した『「疑似科学批判論争」は空腹と共に終わるんだにゃー - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』に対してトラックバックされたid:tikani_nemuru
宗教と科学と疑似科学とニセ科学について - よそ行きの妄想に寄せられる批判などを見ていて、以下のような視点との共存関係を示せばご納得を得られるのではないかな、という。 経済的な視点からすれば、科学的な商品と擬似科学的な商品では経済的な価値が異なる。科学的商品はそれこそ然るべき検証を経て、その価値の確からしさを高めたものであり、その確からしさ自体が価値であるからだ。 本来的な経済的価値が低いにもかかわらず科学的商品を装った擬似科学的商品を科学的商品と見誤り、科学的商品と同等の対価を支払った場合は、損失が発生することになる。これは信じているのなら問題ないとか、いいとか悪いとかという類の話ではない。経済的損失は経済的損失である。『Archives » ページが見つかりませんでした』という記事が俄かに注目を集めているが、これはヴィトンのバッグに例えることで科学的な視点を排除したために、この損失に関
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