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2009年8月13日のブックマーク (3件)

  • 2009.8.10 - 日記

    何かもううんざりしてきた。最近じゃ、を出す時には帯に「馬鹿は読むな、お互い時間の無駄だ」と大書してくれ、と編集者に頼みそうになる。この前は書店に頼まれたポップに危うくそう書きかけた。何しろ評論家の果てまでが、まともに小説を読解して解釈して論じるだけの蓄積もスキルもなしに差別意識剥き出しの豚野郎であることを露出して恥じないご時世である。ブレヒトの「ガリレオの生涯」がナチ体制下で書かれた無知蒙昧なバチカンによる科学の弾圧を扱ったであるとか(バチカンの恐ろしさってのは、今も昔も、その真逆にあり、であればこそ恐ろしい、ということをブレヒトははっきり書いてるよ。でなけりゃ浅いつまんない芝居になってるよね)、「薔薇の名前」が流通の困難を以て不道徳を指し示す話であるとか(映画しか見てなくたってそうは思わないと思うんだが——ロッジの「小さな世界」を読んでから再読するといいよ)言う事が何ら恥ではない世の

    2009.8.10 - 日記
    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/08/13
    優劣と貴賎はわけたいけどねー。劣が馬鹿で賎が豚。
  • 眼が無くても世界は視える──アフォーダンスの概念── - A Successful Failure

    認知科学の基となる考え方にアフォーダンス(affordance)と呼ばれる概念がある。既に何十年も前に確立された理論であるにも関わらず、人の直感に反するためか、今日でもアフォーダンス以前の古典的な解釈が幅を利かし、ネット上でも誤った解釈に基づく記述をよく見かけるのが現状だ。エントリでは、佐々木正人著『アフォーダンス──新しい認知の理論』を参照して、アフォーダンスの基的な考え方を紹介する*1。エントリで扱う図も書からの孫引用だが、オリジナルは脚注で示している。アフォーダンスは、なぜ世界がこのように見えるのか、をまったく新たな視点で説明する。 視覚において網膜は重要ではない 人が奥行きを知覚するために、水晶体や眼筋の緊張、両眼の視線の方向差(両眼視差)などが決定的な役割を果たしていると説明されてきた。しかし、網膜の小ささを考えると、両眼視差は対象が数十メートルも離れると無効になる。両

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/08/13
    アフォーダンスについて
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    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/08/13
    字が読めれば現国の問題はとける。字が読めないヒトが多いから現国が必須なんだよ。