ミシェル・フーコーによるベラスケス「侍女たち」の読解 Diego Velazquez "Las Meninas"(1656) ミシェル・フーコーは『言葉と物』において「自己完結した表象体系」の例として、ベラスケスの『侍女たち』を取り上げています。 『侍女たち』がどうして「自己完結した表象体系」になっているかを示すため、対比材料として「ふつうの絵画」を思い浮かべていただきたいと思います。フランドル派のような、わりと写実的な絵画です。 風景画の場合、絵画の画面はいわば「透明なガラス板」です。画家は風景をキャンバスに写し取り、鑑賞者は写し取られた風景を、画家が見たのと同じ視線で眺めます。画家の「視線」と鑑賞者の「視線」は重なり、透明な画面を通して「見られる風景」と関係しあっています。 人物画だともう一つの「視線」が加わります。モデルの視線です。モデルは画面から画家/鑑賞者を見返しているか