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地震に関するtinuyamaのブックマーク (5)

  • 20060314第40回原子力安全基準・指針専門部会耐震指針検討分科会速記録

    原子力安全基準・指針専門部会 耐震指針検討分科会第40回会合 議事次第 1.日時  平成18年3月14日(火)17時03分〜19時59分 2.場所  原子力安全委員会第1、2会議室(虎ノ門三井ビル2階) 3.議題  (1)発電用原子炉施設に関する耐震設計について (2)その他 4.配付資料 震分第40−1号 耐震指針検討分科会第39回会合における意見・コメントについて 震分第40−2号 耐震設計審査指針の改訂に当っての整理・確認事項について(案) 震分第40−3号 活断層の取り扱いについて(補足)(石橋委員資料) 震分第40−4号 事務局案その8に対するコメント(衣笠委員資料) 震分第40-5-1号  地震動と運転状態、および許容応力(暫定稿)(柴田委員資料) 震分第40-5-2号  “残余のリスク”の具体的な値について未定稿(柴田委員資料) 震分第40-6-1号

  • asahi.com(朝日新聞社):55階まで30分…都心の超高層マンションに潜む不安 - 社会

    JR三鷹駅前にある2棟の超高層マンション。永守ヒロさんは夢中で階段を下りた  東日大震災では、首都圏の高層マンションで暮らす住民も大きな揺れに見舞われ、エレベーターの緊急停止で階段の上り下りを余儀なくされた。快適な摩天楼の暮らしに潜む不安や苦労も浮かび上がった。  東京都中央区の超高層マンションの55階に住む主婦(32)は11日午後2時46分、1人でいたリビングで地震に遭い、とっさにテーブルの下に隠れた。ゆっくりした横揺れが5分程度続き、天井のシャンデリアが30〜40センチ揺れた。  度重なる余震が怖くてテーブルの下に潜ったまま、長男(5)と次男(1)を預けている保育園や夫に電話をかけ続けたが、1時間余り経っても通じない。午後4時ごろ、「らちが明かない」と保育園に迎えに行くことにした。  ところが、高さ約180メートルの55階から十数秒で1階に到達するエレベーターが緊急停止していた。巡回

  • 朝日新聞社:西日本へ「疎開」を 〈伝えたい―阪神から〉

    内田樹・神戸女学院大教授 ■内田樹さん(60) 神戸女学院大教授  阪神大震災が起きたとき、小学6年の娘と芦屋のマンションに住んでいた。タンスの引き出しが顔に飛んできて目が覚めた。歯が折れていた。周辺の木造家屋はほぼ全壊し、神戸の街から煙が上がっていた。マンションは半壊、近くの小学校の体育館で3週間の避難生活を送った。  今回の東日の地震で対応が難しいのは、まだ災害が終わっていないことだ。福島の原発が危機的な状態にある。気になるのは政府・東電の情報が遅く、被害を過小評価する解説が続いていることだ。首都圏から避難が必要ないと言い切る専門家もいる。だが、この後、大量の放射性物質が飛んできた場合、この人はどう責任をとるのだろう。  危機的状況では、リスクを過小評価するよりは過大評価する方が生き延びる確率は高い。避難が無駄になっても責める人はいない。「何事もなくてよかったね」と喜べばいい。「安全

  • 静岡地震のこと - シートン俗物記

    さて、またまたご無沙汰でございました。実は、私、見事に静岡地震を罹災してしまい、このところゴタゴタしておりました。 で、その体験と感想を載っけておきます。 地震が起きたのは実に蒸し暑く寝苦しい夜の終わり、大雨が降り注いでおります。ようやく気温も下がり深い眠りに入ろうかという頃でした。ゴゴゴ、という突き上げるような小さな揺れで目を覚ましました。たぶん、寝苦しく眠りが浅くなかったら気づかなかったかもしれません。咄嗟に、当に咄嗟に「地震?」と身を起こしました。何回か地震で初期微動による突き上げを感じていた事。そして、これが重要ですが、起震車による地震体験を何度か受けていたこと。この事が地震に気づかさせたと云えるでしょう。身を起こして身構えた瞬間に左右へ大きな揺れ。 「こんなに揺れるのか!?」 ちょっと大地が揺れる規模とは思えない揺れです。どちらかといえば、遊園地かテーマパークのアトラクションみ

    静岡地震のこと - シートン俗物記
  • 耐震設計について十年前を思い出す: 極東ブログ

    昨日のエントリを書いたあと、耐震設計について十年前のことをぼんやり思い出し、つらつらと考えてみた。 私はあの頃、なぜ高架が断ち切れたのだろうかと疑問に思っていた。ありえないと当時思っていたのだが、写真にはそのありえないが写し出されていた。耐震設計が間違っていたのか、手抜き工事だったのか、私の記憶ではこの問題はその後曖昧になっていったように思う。 科学というものはどのような巧緻な理論でも事実の前に棄却される可能性を持つ。高架は切断された。それが事実だった。耐震設計とはなんだったのだろうか。 考えても埒が明かないことでもあるので、十年前の新聞をざっと眺めてみて、そうだそうだと思い出した。一九九五年三月二九日付読売新聞に伯野元彦東洋大学工学部教授(当時)の”信頼できる耐震設計とは”と題する寄稿がある。そうそうこんなのだった。 大災害となった今一つの原因は、耐震設計の方法にあると思う。最もポピュラ

    tinuyama
    tinuyama 2005/11/30
    引用「耐震設計というのは経験科学」。
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