≪前回より続き≫ たとえば上巻につぎのような断章があり、高次の厳格な目標に向かって鍛錬することの重要性が熱っぽく語られている。 「文字でも、先ず草聖と云う王羲之とか、文徴明とか、董其昌とかの手本があって、それを習得してこそ、妙味も出るのである。今の学校の如く、鉛筆やペンばかりで、読めさえすればよいと云う物質本位となれば、芸術も美術も亡滅である故に、先ず正しき手本、即ち、目標が先決問題である」。 また、芸というものは文字と同様に、それが連綿と伝えられてきた沿革や歴史を識ることが大切だと説く。 「文字で云えば、先ず楷書の字画を識り、それから行書、草書と、時代、世話、真世話物とこう運ぶのである。故にこの『三代記』の如きは、声の据りと腹の力の覚悟が出来た堂に入ってから、奥を伺わんとする人の熱心修業する品物であると、心得ておらねばならぬ」。 なお、文中にある「三代記」は「鎌倉三代記」のことで、江戸時