20年前、ぜんそくの発作で生死をさまよった息子の脳に重い障害が残った。だが障害者には認定されず、何の支援もない「福祉の谷間」に陥った。母が将来への不安を抱えながら行政や地域に働きかけるうち、わずかに光明が見えてきた。 稲城市に住む田辺和子さん(67)。次男の大輔さん(41)は1992年、ぜんそくの発作が原因で低酸素脳症になり、その後遺症で高次脳機能障害になった。病気や事故などで脳がダメージを受けた結果の認知障害だが、当時はほとんど知られていなかった。 高校時代に留学を経験、早稲田大に進み、大学院進学も考えていた大輔さんだが、言葉を失った。福祉サービスを受けようとしたが、身体に障害がなく18歳以後の発症のため知的障害者にも認定されなかった。 96年、国会議員に窮状を訴えた。国会でも取り上げられ、01年には国の高次脳機能障害支援モデル事業も行われるようになり、障害の実態などが広く知られる