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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (11)

  • 悪人 - 焚書官の日常

    邦画への偏見もよくないし、モントリオール映画祭への偏見もよくない。そんなものは「シネマハスラー」はじめそこらへんの下品な映画評による一時的な刷り込みにすぎない。私だって、観れば邦画を好きになっていくはず。…と思ったので、「悪人」を観に行った。 前半は、いいじゃない! と思って見ていた。満島ひかりのビッチ芝居も、地元感のある絵づくり(国道沿いのフタタ、デートに呼子に行く、etc)もいい。地方の行き詰まってる感じが画面から伝わってくる。私が九州に住んでいるせいかも知れないが。 夫木聡のキャラの描写の仕方など、踏み込みが足りなげなところもある(対人的に不器用なのではなく、対人的にそつなくこなせるところがあって、それがときどき虚無の顔をのぞかせるのが、当にからっぽの人間の姿だと、僕は思うんだな……)けど、全体的には「フローズン・リバー」とかに近い棚に置いていい、観ていて息苦しい、イエロー・トラ

    悪人 - 焚書官の日常
    tinuyama
    tinuyama 2011/06/16
    『悪人』
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    空想の休日 会社に行かずに開店したばかりのプロントでモーニングを取って、そのあと2時間くらい勉強。市電で40分くらいかけて郊外のブックオフに出かけて、筒井康隆の短編集を5冊くらい買う。そのまま近くの健康ランドに入ってごろ寝しながら今買ったを読む。 そんな休日を想像した。 「これはSFではない」論議 いや論議になってるのかどうなのか知らないけど。 たとえば、国産のボードゲームで、自分たちがよくやる海外製と比較してどうしようもないルールのもの(所謂クソゲー)が売られたというだけでは、私はとくに思うことはない。 自分の村の外から来たものに自分が反感を覚えるかどうかは、ゲームの出来はあまり関係ないのではないかと思う。 「これぞ究極のゲーム!」という煽り文句で売ろうとしているのであれば、たぶん腹を立てる。 新しい村を作ってそこを自分の最強の帝国と呼ぼうがなんだろうが、そりゃ自由だと思うが、勝手に世

    いろいろメモ - 焚書官の日常
    tinuyama
    tinuyama 2008/07/15
    「空想の休日」
  • 「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常

    承前 何かに関心を持って、ちょっと検索してみて、興味を惹いた記事、あとでゆっくり読もうと思ったものを、ブックマークする。 私がブックマークしようとすると、ときどき、「このエントリはすでにブックマークされています」と、出て来る。昔自分がブックマークしたものを、もう一度ブックマークしようとしたらしい。 これは、私の物忘れがひどい、という話かしら。でも、そういう細かいことを忘れるために、ソーシャルブックマーク(以下SBS)を使っているはずなので、私は悪くないはずだ。 「SBSはミニブログなんです!」「なるほどー」 ここに、SBSが「ミニブログ」である、という視点から、補助線を引く。その日考えたこと、目にとまったものをブックマークしていくわけだから、ミニブログと言ってしまっても問題なさそうに思える。(see.google: ミニブログ ソーシャルブックマーク) すると、さきほどの二重ブクマ問題は、

    「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常
  • 「視野を広げるに越したことはない」 - 焚書官の日常

    a. 「趣味はえーと、音楽鑑賞かなー、えー? アーティスト? 何でも聴くよーわりと」 という会話は、別に趣味の話題でもなんでもない、それは世間話ではあるけど、少なくともオレにとっては趣味という言葉はそういうふうに使うものではないな、という、もってまわったことを言ったら 「だって、そうやって情報交換して視野を広げるのはいいことでしょ?」 と無邪気に返されて、日語の通じなさにひとり憤慨する夢をみた。 b. 音楽鑑賞が趣味の人どうしでレコード屋行って、お互い当に素だと「あ、じゃぁあとは自由行動で」ってなると思うけど。 c. 仮に情報を教えあうフェイズを趣味ということばのうちに含めるとしても、教え合ってる時間は、記憶にフックをつけてるだけで、そのフックの点と点を繋ぐのは、やはり自分の仕事なのだった。 c. あるいは、他人が情報を繋いでいるさまを見て、自分も真似てみようとすることはあるかも知れな

    「視野を広げるに越したことはない」 - 焚書官の日常
    tinuyama
    tinuyama 2008/04/24
  • わたしはなぜ書店に行くのか - 焚書官の日常

    もっぱらAmazonでしかを買わない人を大きな書店に連れて行ったら衝撃を受けていた、という話(創作? 実話? どっちでもいいけど)を読んだ。 ブックマークコメントも読んだ。 一覧性が高いとかレコメンデーションがない、といったことが、べつだんリアル書店の強み/弱みとは思えない。それAmazonから逆算して反対の性質を挙げてるだけだろ。 わたしが書店に行っておどろくのは、私が買わないが、私が欲求しているものとはべつに、あらかじめ「もの」の形をとってそこに「ある」ということだ。いうなれば、それらは他人の欲求である。 Amazonから、じぶんの興味やblogのレコメンドを辿って、のレコードが抽出され、「買う」ボタンを押して、という実体が自宅に届けられて、自分の部屋の棚にそれが並ぶ、というシーケンスの中には、他人の欲求が入る余地がない。 あるいは、わたしが触れ、そのとき買わないを、このあ

    わたしはなぜ書店に行くのか - 焚書官の日常
  • 「まじめにやれ」 - 焚書官の日常

    http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071109/1194554474 で、はてブコメントに言及をもらったので、関連したことを書く。 anond.hatelabo.jpに虚構を書いて遊ぶと、皆が音を書きあっていた空気を壊してしまってよろしくない、という意見がある。 そうだな、とは思うが、それで壊れてしまうようなものなら、仕方がないんじゃないか、とも思う。壊れる部分は、もとから無根拠なバブルだったのでは。 虚構だって音だって、まじめに書いている時点でおなじリングにあがっているのだから、そこで共存すればいいと思うのだ。 もしも自分が ここはみんなが音を書きに来てるところなんだよ、まじめにやれ と言われたら、私はこう返す。 たとえばあなたが、自分の不遇をanondに書いている人だとして、あなたが当に不遇かどうかは、あなたの書いたも

    「まじめにやれ」 - 焚書官の日常
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    丁寧に書く 文章を丁寧に書くのは何のためか、というと、対話可能性を上げるためなのであって、「書かない」読者様を意識する優先順位は高くない、と言わざるを得ない。 取材というか撮影 PR紙(情報紙、というのか)の編集の方はさすがに合わせるのがうまいと思った。人にあわせていい気分にさせる(語った気にさせる)能力において、テレビの取材とは雲泥の差があった。まぁこれは局内であちこち回される、という事情もあるだろうけど…。 丁寧に書く 2 つまり、自分の中で疑問を残さない「オレはこう思うんだ!」という主旨では文章は整いにくい。

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    tinuyama
    tinuyama 2005/12/02
    引用「自分の中で疑問を残さない「オレはこう思うんだ!」という主旨では文章は整いにくい」
  • 「系」をいかにして認識するか - 焚書官の日常

    web日記を中心にした、自分の個人コンテンツへの考え方が、人とずれてるのかもしれないけども、「なんちゃら系」の魅力を発見する、というのは、<情報>によって、ではなく、それを語る<人>によってだと思う。 んー、たとえば、「SF系」web日記の人が、イーガンの新刊を今ボコボコ買って、それについて「いみわかんねー」「なるほどー」とかおしゃべりがはじまってるわけだけど、そういうのなしでは、あんなクソ難しい小説買わないと思う…少なくとも私は。隣百姓と呼びたければ呼べ。 話変わって 「ボードゲームをはやらせるために、ボードゲームに関する情報を整備しよう」みたいなことを言い出す人があったとする。わりとそのへんの動きは、wikiなんかがあって今は速い。 でも、そういう「情報」を所謂「初心者」が見て、よし自分もやってみよう、と思うかというと、可能性は高くないんじゃないのか、と思う。 そもそものモデル そもそ

    「系」をいかにして認識するか - 焚書官の日常
    tinuyama
    tinuyama 2005/09/27
    「記述を横断することによってモノの諸相が見える 」「身辺雑記上等 」
  • このブログは30代男の日常を赤裸々につづったブログではありません - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20050331/dearfriend http://d.hatena.ne.jp/laiso/20050330#daru (私信を取り上げて申し訳ないです)なんか、日記だと地が出るとか、をかぶっているとか、そういうのがわかんないです僕は当に。もとより「全然違うね」でもないし。 日記の自分と日記を書いてる自分は別の生を生きていて、共振している、という感じに近い。 こちらの自分(書いてる方の自分)をよくしようと思うから、日記に書かれている自分もよくしよう、と思ったり、逆に思いつきで素っ頓狂なことを書いたりする。 自分が日記を読んでいる人の生活を、僕はほとんど知らないが、かれらの書いた言葉が、美しく鳴ったり、変調を繰り返したりして、そこに一緒にいる「書いている人」の影を浮き上がらせているのを見るのは、楽しい。 「(ブログを書いて、

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  • 自分の読書について - 焚書官の日常

    読むことそのものよりも内的必然性、のつながり、あるを読んだ後に次何がしたくなるか、ということが、の機能なのであって、未読であるとか、既読であるとか、そういう区別はどうでもいい。自分が未読と感じたものが未読です。 …言い過ぎかな? まぁでも何かの作家に「はまる」という状態は、常に警戒してる。…そんなこったから腰を据えて読めないのかも知れないが。

    自分の読書について - 焚書官の日常
    tinuyama
    tinuyama 2005/03/31
    本と本のつながり
  • 語学学習の副読本 - 焚書官の日常

    ほんとにほんとの初級から、会話中心にのんびりやってるので、文法よりのドイツ語入門書を買ってきた。ざっと目を通す。いろいろ思い出してきた…不定冠詞…弱変化…そうだった、冠詞と格の規則(と、例外)がたくさんあるんだった… 大学の授業でドイツ語を習ったけど、あれはかなり詰め込んでたんだな、とも思った。詰め込む、というか、文法しかやらないので、身に付かない…あぁ、あの…会話が大事、という意味ではなく、車輪の片方しかやらないのでしみこまない、というか。 あと「教科書に先に全部目を通す」これ超大事だということも思い出した。小学生のときやってました。

    語学学習の副読本 - 焚書官の日常
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