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ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (5)

  • お盆の高速道路大渋滞に期待する - 一本足の蛸

    土日の高速道路料金割引のせいで、各地の公共交通機関が打撃を受けている。昨年の燃料高騰や不景気による交通需要の減少とのトリプルパンチで、特にフェリー業界は存亡の危機を迎えており、減便や航路廃止が相次いでいる。鉄道乗客数も激減しており、いくつかの鉄道会社は割引企画きっぷで応戦していており乗客数の面では一定の効果を上げているようだが、果たしてそれが安定的な収益に結びつくかどうかは疑問だ。高速バスも悲惨だ。自家用車ではないから高速道路料金一律1000円の恩恵を受けられないばかりか、割引のせいで発生した渋滞に巻き込まれてダイヤが乱れ、定時性・速達性が大いに阻害されている。寡聞にして具体的な報道は見聞きしたことはないけれど、トラック物流業界も悪影響を受けているものと思われる。 高速道路料金の割引が交通システムに与えるダメージが徐々に見えてきており、常識的に考えればならこの状況は何とかしなければならない

    お盆の高速道路大渋滞に期待する - 一本足の蛸
  • 登山と喫煙の違い - 一本足の蛸

    タバコがなぜこうも問題視されるのか。いうまでもなく、健康を害するリスクを高めるからである。 しかし、それなら、ひたすらにリスクを減らすことだけが正しく、リスクを増やす行動を取ることは愚かなのか。ぼくは、そうともいいきれないと思う。 その理屈でいうなら、登山などは愚行としかいいようがはず。山に登らなければ存在しない遭難死のリスクをわざわざ背負うわけだから。 しかし、一流の登山家は一般に賞賛すべきひとと見なされている。この落差は何なのか? 登山のリスクを採るひとと、タバコのリスクを採るひと、両者のあいだに何の違いがあるというのか? ぼくには、何の違いもないように思える。両者とも、リスクを支払ってでも得るものがある、という判断を下しているに過ぎない。 受動喫煙の問題を考慮に入れていないのが気になるところだが、それはさておき、登山と喫煙の間には見過ごすことのできない大きな違いがあるように思う。 そ

    登山と喫煙の違い - 一本足の蛸
  • 屋内できちんと「分煙」するのは結構難しい - 一本足の蛸

    数日前のこと。仕事の都合で訪れた会社で、少し時間があいたので何か飲もうと思い廊下の端に置かれていた飲料の自動販売機に近づくと、何だかえらくヤニ臭い。そのにおいは自販機に近づくにつれ耐え難いほど強まっていき、何か変だと思ったら、ちょうど自販機の隣のドアが開いて、中から人が出てきた。そう、その自販機は喫煙室の入口のすぐ隣に置いてあったのだ。 昔はオフィスの執務室でみんなスパスパ煙草を平気で吸っていて煙たかったものだが、昨今は喫煙者を喫煙室に押し込めることで事務スペースの空気はかなり清浄になった。その分、喫煙室や喫煙コーナーはとてつもなく煙の濃度が高い空間になってしまっている。あれでは喫煙者でも辛いだろうと思うのだが、ヤニで薄汚れたガラス窓越しに中を見ると案外平然としているので、慣れというのは恐ろしいものだ。 喫煙者が煙草部屋で煙に巻かれてどうなろうが知ったことではないのだが、部屋の外まで濃密な

    屋内できちんと「分煙」するのは結構難しい - 一本足の蛸
  • 死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ - 一本足の蛸

    ……という挑発的な見出しを思いついたのだが、それに見合った挑発的な内容が全然思い浮かばない。 中には「極悪人は自分の手で処刑してやってもいい」という人もいるだろうが、たぶん、大部分の人は「死刑には賛成するけど、自分が執行するのは嫌だなぁ。そのために刑務官がいるんでしょ*1」と思っているのではないだろうか。「死刑に賛成/自分が執行するのは嫌」というのは「肉はべたい/自分で屠畜するのは嫌」に似ている*2ように思うが、さて、このような考え方をどう評価すべきか。 そういえば「定額給付金には反対だけど、実施したら受け取るつもり」という考えはどうか、という議論もあったなぁ。 *1:もちろん、死刑を執行するために刑務官という職が置かれているわけではない。 *2:ただし、一方は社会制度の話で、もう一方は個人的な嗜好の話だから、完全に同型だということはないはず。

    死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ - 一本足の蛸
  • 生きるということは手段ではない - 一本足の蛸

    しかし。ぼくに言わせると、その思想の一番おおもとにある(暗黙の)前提が間違っているので、そこから展開する論のすべてが無効になっています。その前提とはなにか? それは「生きることにはそれだけで価値があり、人は生きなければならない(死んではならない)」というものです。 そんなものは、フィクションです。ファンタジーです。生とは目的ではなく手段です。生きるのは、なにごとかを為すためです。 だってさー、考えてもみてくださいよ。派遣で安い給料で働いて、辛かったり、苦しかったり、悲しかったりいろいろで、それで派遣切られて、寒かったり悔しかったりで、派遣村に流れ着いて、まだ「仕事をください」と。そこまでして、そこまでして。そこでさ、「あなたは何のために生きているんですか?」って聞かれて、もし答えらんなかったらさ、ごめんぼく笑っちゃうかもしれませんよ。「特にやりたいこともないのに、なんでそこまでする必要があ

    生きるということは手段ではない - 一本足の蛸
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