熱田神宮の創始は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まる。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)で死去した。尊の妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地に祀られた。 以来伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に列せられ国家鎮護の神宮として特別扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきた。 熱田神宮の大宮司家は、当初尾張氏で火明命の後裔と伝え、大和国葛城郡高尾張邑に起こったという。尾張国造として尾張の古豪となり、熱田大宮司職を世襲した。のちに員職のとき、外孫南家藤原季範に大宮司職が譲られて藤原姓となった。 千秋氏の武士化 季範の娘は源義朝に嫁して頼朝を生んでいる。それ以後、大宮司家は源氏と強く結びつき、次第に武士化していった。憲朝の代に至り、三河国

