ということを、下記の記事を読んで思いました。 定義不可能であるはずのものについて、当たり前のように議論がなされる。これは非常に奇妙なことです。なぜそんなことが可能なのかといえば、議論する人々それぞれが自分の中で最大公約数的な「ライトノベル像」とでもいうべきものを作り上げ、それに対する議論をしているからです。私はその「ライトノベル像」がどういうものであるか、というのを、きちんと言語化されたものとして提示したいと思っているのです。 http://d.hatena.ne.jp/USA3/20060522#p1より 勿論、私を含む多くの人にとってライトノベルとはいまだ定義不可能のもので、だからこそ議論が盛り上がるんだと思います。どこまで本気かはともかく、「源氏物語」をライトノベルの範疇に加えることも自由です。しかし、その一方で例えば舞城王太郎や佐藤友哉などをライトノベルに含めること(というかそうし