昔は補給物資を「糧秣」と呼んだ。食糧の「糧」と馬に与える「秣(まぐさ)」のことである。日露戦争当時は、この「糧秣」が補給物資の中で大きな比重を占めていた。 日本軍の1個師団には、約1万人の歩兵が配属されていた。専門兵科である騎兵・砲兵・工兵や後方支援部隊を含めると、総員は約1万8000人である。さらに、軍馬約5000頭を保有していた。 兵士の食事には、1日に米6合と味噌や缶詰などの副食物を支給した。その重量を1人当たり1.5キログラムとすると、1万8000人分で27トン/日となる。馬の場合はさらに大変だ。大麦5升(1升は約1.5キログラム)と秣2貫(1貫は3.75キログラム)の約15キログラムを与えるため、5000頭分で75トン/日である。つまり、1個師団当たり毎日約100トンの「糧秣」を必要とした。 日露戦争中で最大の戦いとなった奉天会戦には、およそ20個師団相当の兵力が参加しているので
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