もーしゃもーしゃ @willichgirl 家庭教師をしている友人。息子が計算問題の宿題とか難しと癇癪で破ると伝えたら、プリント持ってきてと言われた。プリント渡したらおもむろに破き始めた。20問あるからしんどいんだよ。1問ずつにするとなんとどんどんやる。あの時は驚いたなあ。今は、4問正解したら次のもらえますと進化させた。 pic.twitter.com/ejpmWGvcTk 2022-10-12 10:17:16
![家庭教師の友人に、子どもが宿題で癇癪を起こすと相談したら頭のいい方法を教えてくれた「仕事にも使える」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b783573c47594a51a8f8cf7b3725b3e3261bfe86/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F8ec8acad0f8960c93f26626e0709e27b-1200x630.png)
「勘違いさせる力」を「錯覚資産」と位置づけるブログ記事(というよりも書籍の一部らしい)が話題になっているようだ。たしかに、錯覚を起こさせることでそれを経済的な力(具体的には例えばお金)に替えることができるのならそれは資産として扱うこともできるのだろう。なんだか抵抗はあるが、ま、そういう見方も可能かもしれない。 www.furomuda.com いろいろと思うところもあるのだが、それはさておき、資産であれば当然、その継承が問題になる。というのは、やっかいなことに、資産を継承することによって階級が固定化されてきた歴史を人間はもっているからだ。 たとえば農地が生産手段として重要な資産であった時代、すべての農民が平等に毎年同じだけの農地を与えられるのであれば、階級差は(それらの農民の間では)発生しない。貧富の差はあっても、それは偶発的なものであって、固定的なものではない。ところがこの農地が資産とし
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