「マグロが食べたい。生寿司が食べたい」 この妹のひと言で、母と私は炎天下の街に寿司屋をさがしに出た。 まだ二十代前半、遊びたいさかりの妹は、末期がんで入院している。食べることが今では唯一の楽しみになってしまっていた。 タクシーをみつけて乗り込むと、ラジオから今日は今年の最高気温だと流れてきていた。 まもなくタクシーは一軒の小さな寿司屋の前に停まった。中に入ると客はいない。みるからに頑固そうな店主と奥さんらしき人が、カウンターで海苔巻き寿司を作っている。 母が進み出て頼んだ。病室で生寿司を待っている重病人がいます、大好きなマグロの寿司を食べさせてあげたいのでにぎってください、と。 外は暑いがまたタクシーを使って病院まで届ければいい。これで寿司を妹に食べさせられる。母も私もほっとした。 ところが、店主は首を横にふった。 「悪いんですけどね、うちは持ち帰りの寿司はにぎらない主義なんですよ」 店主