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2017年2月5日のブックマーク (4件)

  • 田中角栄の「漢詩」について

    東大中国思想文化学研究室の住人 @UTokyo_chutetsu 田中角栄が訪中した際に、毛沢東・周恩来らに送った詩。「國交途絶幾星霜,修好再開秋將到。鄰人眼温吾人迎,北京空晴秋氣深(國交途絶して幾星霜、修好再開して秋將に到らんとす。鄰人眼温くして吾人迎ふ、北京空晴れて秋氣深し)」 2013-11-15 12:08:35 東大中国思想文化学研究室の住人 @UTokyo_chutetsu 「吾人迎」は、隣人が温かい眼差しで自分を迎えてくれるのであれば、「迎吾人」とすべきである。また、天空を言うなら「空」ではなくて「天」としなければならない。「秋」の字を二度用いているのも、詩としてはよろしくない。 2013-11-15 16:08:36 東大中国思想文化学研究室の住人 @UTokyo_chutetsu 何より、この詩は押韻していない。韻が通じる気配すら感じられない。すなわち、韻文として成立する

    田中角栄の「漢詩」について
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/02/05
    なるほどね。
  • 筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい|Colorless Green Ideas

    筑波大学モニュメントに含まれる銘鈑に記された「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。 筑波大学モニュメントとは 筑波大学筑波キャンパス [1] 茨城県にある国立大学の筑波大学には、筑波大学モニュメントというものがある。筑波大学側としては、「学のアカデミックシンボルの一つとして、見る者全てに、学問に宿る崇高なる精神性と高揚感を与えるものになると期待」されるモニュメントなのだそうだ [2] 。 これは、2014年に幡谷祐一茨城県信用組合会長から寄贈されたもので、幡谷会長の作った「漢詩」が記された銘板が含まれている [3] 。これから詳しく説明することになるが、この「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。一応は日文学や中国文学の教授陣もいる大学 [4] で、このような漢詩と呼ぶことができないしろものを「漢詩」と称した上で、「アカデミックシンボルの一つ」

    筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい|Colorless Green Ideas
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/02/05
    「夜露死苦、仏恥義理」みたいなもんかな?
  • mixiが廃れた原因は運営の「鈍感さ」?「足跡を廃止したのが決定打」「Twitterもこうなるのでは」

    まつもと🇫🇷🍊 @matsuwitter 急に少し予兆が出る前に、ユーザーから運営に違和感とか意見がかなり出されてたと思うんだけど、鈍感だったよね。ユーザーはmixiに親しんでいて、最後まで付いて行こうとしてたから「突如」じゃないよね。Twitter運営にも似たようなとこがあるから同じ結末を恐れてるんだ。 pic.twitter.com/BFcofOeLJD 2017-02-01 17:45:10 HIROYA @hiroya_rakuchin @matsuwitter 私はmixiのほうが良いと思い、今でもよく使ってます。運営は大事な事です。もっと広く使われれば良いのですが。Facebookは地元の人との交流に使いますが公開される事が多くなり書く内容が限られるのが難点です。(運営の仕方が上手いという訳ではないですが) 2017-02-01 21:34:53 まつもと🇫🇷🍊 @

    mixiが廃れた原因は運営の「鈍感さ」?「足跡を廃止したのが決定打」「Twitterもこうなるのでは」
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/02/05
    これ見てもブコメ見ても未だに何が悪かったのかどうするべきだったのか相対する意見が多くてさっぱりわからない。ましてや当時の運営に分かるわけがない。
  • 絵を描く人々 第10回 描くことの光と闇 - WEBスナイパー

    「お絵描き文化」の特異な発達を遂げた国、日。「人は何のために絵を描くのか」、「人はなぜ描くことが好きに/嫌いになるのか」、「絵を描くとはどういうことなのか」――。さまざまな形で「絵を描く人々」と関わってきた著者が改めて見つめ直す、私たちと「お絵描き」の原点。 絵を描く人々 第10回 描くことの光と闇 昔、芸大受験のために通っていた予備校のクラスで、一人だけなかなか描き方の習得ができない学生がいた。 他の学生が石膏像を前に構図を決めている時、彼はいきなりその石膏像の顔の中心を描いていた。他の部分はアタリもつけていない。ひたすら、像の鼻の付け根と二重まぶたの周辺を描いている。しばらく経ってふと見ると、顔の半分だけが克明に描き上がっている。しかし他の部分は真白のまま。 当然、全体が出来上がってきた時には形に歪みが生じたり、構図が偏ったりしていた。講師には何度も注意されていたが、彼はどうしても細

    絵を描く人々 第10回 描くことの光と闇 - WEBスナイパー