ブックマーク / orion12.hatenablog.com (270)

  • 癒しと大和魂 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    癒しとは楽になることです。 ここでいう「楽になる」とはダラダラと安直に怠惰に過ごすという意味ではなく、「それぞれが元々持っている自然で無理のない状態に戻る」ことです。 謂わばニュートラルに戻るということです。 このブログにおける『ヒーリング』とはその「楽になること」をお手伝いすることです。 主体は何時もヒーリングを受ける側のほうにあります。 例えて言えば、歩きにくい人のための杖や見えにくい人のための眼鏡みたいなものなんじゃないかな~と思うのです。 今まで何度も書いてまいりましたが以上が私の行なっているヒーリングのキモの肝です。 このブログ内で使われる『癒し』『ヒーリング』『楽になる』といった言葉の意味もここにあります。 ここでいうヒーリングは、問題のある箇所に存在する波動エネルギーと円満に交流して浄化させてもらう方法でもあります。 浄化とは波動のレベルの低い状態から可能な限り元のクリアーで

    癒しと大和魂 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心のバランスと「光だけの世界はない!」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。 夜が明けたら朝になる 雨が上がって晴れになる 光があれば闇がある 片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。 光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。 光だけ見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。 闇の何たるか知ろうとすれば闇に近付くしかありません。 ただ、闇に近付けば近付くほど否応なく闇に触ることになります。 その闇は退廃的な甘美さみたいなモノも持ち合わせています。 何時もおぞましいばかりではないのです。 闇に近づきすぎて、その退廃的な甘美さに絡め取られてしまう人少なくありません。 「自分は何があってもそんなモノに絡め取られない! そんな弱い人間じゃない!」なんて考えてる人ほど危ういです。 闇の甘美さをナメてる

    心のバランスと「光だけの世界はない!」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 親ガチャとは前世から続く出会いと選択の結果である - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があればこそ自ずから禍福が糾える縄の如く現れてくるのです。 それが一般にいう『運』と呼ばれるモノです。 つまり、『運』とは「人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるモノ」を指します。 そうやって生まれた『運』は巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの途轍もなく大きな絵となるのです。 その途轍もなく大きな絵が、この世界の『運命』っていうヤツなのでしょう。 日々刻々様々な場面で『何か』を選び取ることで人の運命は進んでいきます。 「選ばないことを消極的に選ぶこと」まですべて含めてね。 世に「親は選べないからねぇ…」 って言葉があります。 所謂『この世』の視点でだけ見れば、確かにそうでしょう。 しかし、眼に見えない世界まで含め

    親ガチャとは前世から続く出会いと選択の結果である - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 不安と恐怖と人外のモノによる甘い誘い - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必ず現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日のようにコツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか? なので、生あるものにとって『不変』とはすなわち『劣化』を意味します。 時空のある一点に踏みとどまろうとする行為はブレやズレやユガミを助長する行為に他なりません。 生きている限り止まらずに進んでいくしか道はないのです。 けれど、進めばやっぱりブレやらズレやらユガミやらは出てきます。 そして、ブレやらズレやらユガミやらが大きくなればなるほど心の安定は失われます。 心が不安定になるほどあれこれ考えて、人は不安を持ちやすくなります。 不安が増大するほど、心は落ち着かないので、まともな思考が出来にくくなるでしょう。 そうするとまた不安

    不安と恐怖と人外のモノによる甘い誘い - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 唯物論的な思考をするほどその人の中の時空間は狭くなる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分が直接見たり聞いたり触れたりするモノ以外は信じない!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことなのです。 なので、唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられなくなったりします。 あと、自分の社会経験の範囲内、それもいいとこ6割・7割くらいのサイズで思考するようになります。 そうやって思考した上で、大抵自分の独断と偏見の6割・7割くらいで結論を導き出すよう

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  • 自分の正しい!に固執するほど、人の心は暴力的になる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。 じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは質的に「やってやられて」の世界ってのはどういうことかというと正しい!って想いは自己完結しないモノであるということです。 「正しい!って想いは自己完結しないモノである」

    自分の正しい!に固執するほど、人の心は暴力的になる - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 引き寄せの法則と但し書きという詭弁 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは「私なら私が考えたことによってこの世界が創られている」という考え方が土台にあるみたいです。 簡単に言えば「個人の思考→全体の現実」って感じです。 でもね、人間は社会的な生き物です。 古今東西どんな人間でもたった一人で、この世に存在していたわけではありません。 数多の他者(人間以外も含む)との関わり合いによって『その人の世界』ははじめて成り立つのです。 仮にもしこの世界に引き寄せの法則と呼ばれるモノがあったとします。 ならば、有史以来この世に溢れている戦争も飢餓も貧困も『人間が自ら引き寄せた結果』ということになります。 つまり、目の前にある『歴史的な事実』がすでに引き寄せの法則が矛盾を孕んだモノであることを証明して

    引き寄せの法則と但し書きという詭弁 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 憑依を深刻にしないためのひとつの処方箋 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂『憑かれる』といっても、オカルト漫画みたいに誰にでも分かるようなド派手な怪奇現象が起こるってことは滅多にありません。 そんなことがもし起こったとしても随分状況が進行した後の段階の話でしょう。 憑依は、最初その人の内側からジワジワとゆっくり浸していくカタチで始まります。 浸された部分は『その人では無いモノ』に差し替えられていくのです。 差し替えられた部分は元からある部分と比べると擬態したカメレオンみたいになっています。 よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いがわからない感じと申しましょうか… 以上が憑依の第一段階です。 じゃあ、よく見れば違うってところを説明していきましょう。 人外のモノに憑かれると先ず『眼の光』みたいなのが変わります。 『眼の光』というと何だか良いもののように感じられるかも知れないですが、そうじゃありません。 例えば鏡を見た時に眼に照明の光りが幾分反射して見える

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  • 言葉は心から生まれ、運は言葉から生まれる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    世間一般で開運っていう言葉は何の気なしに使われているように見えます。 でも、その言葉の『意味』についてはあまり深く考えられてはいないじゃないでしょうか? おおよそ「他力願で良いことがある」みたいな意味で捉えられてることが多い気がします。 別にどう捉えようとそれぞれの自由ですが、「薄ぼんやりとした言葉だな」というのが個人的な印象です。 そもそも『運』ってのは開いたり閉じたりするモノなんでしょうかねぇ? 私はそうじゃないって感じるんですよね。 「『運』ってのは日ごろ言葉と行動の積み重ねなんだ」と思います。 良いことも悪いこともすべて含めてね。 「先にその人が積み上げた原因となるモノが、後からカタチを変えて結果として姿をあらわす」それだけのことです。 いわば因果応報なのです。 人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄

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  • この世界には、原因のない結果はなく、結果のない原因もない - 『クリアー整体ヒーリング』です

    質的な意味で『たまたま』はこの世にはない」と思います。 すべての事柄は『因果応報』で成り立っているからです。 何らかの現象があるならば必ずそれに見合うだけの原因があります。 逆に言えば結果の現れない原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、『因果応報』というものはこの世の全てに遍くあります。 ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。 個人のスケールを遥かに飛び越えて『原因』に対する『結果』はやって来ます。 それを私は『因果のツケ』って呼んできました。 『因果のツケ』が何故起こるかというと『因果応報』という現象がすべての時間と空間と次元を跨いで起こるものだからです。 それは「一人の人間に分かりやすいサイズの時間と空間の中だけで因果応報が起

    この世界には、原因のない結果はなく、結果のない原因もない - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 生きることのハードルと出来損ないとしての『人間』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすくモノゴトの辻褄ってのは合うものだ」という『素朴な信仰』に基づいているのです。 別の言い方をするなら、それは森羅万象すべての物事に対して(ご自分にとっての)完璧な調和と整合性を求め続けている状態を指します。 またその答えを求められるものだと気で信じているってことです。 ただ、如何に博覧強記の者であれ、この世は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収まるほど都合よくは出来ていません。 それどころか人類という種にとっても、それは不可能な事柄でしょう。 根源的

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  • 競争原理とこの世のコトワリ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね… そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」って考え方は生きるために必要なんでしょうか? 実は弱肉強なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎない気がします。 もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟でも何でもないよな!」ってことです。 少なくとも個人的にはそう思ってます。 そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。 例えばナマケモノみたいな生き物が現在も生息しているのは、人間が勝手に考える優勝劣敗なんて『ちっちゃな理屈』とはまた違うそれ相応の『大きな理由』があってこの地球上に存在している気がするのです。 弱肉強・適者生存みたい

    競争原理とこの世のコトワリ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 悪魔の契約と欲望の肥大化に無自覚な人間 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、所謂一般的に言われる『悪魔』なるモノと契約書を交わす儀式のことを言っているわけではありません。 ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどが悪魔の契約の相手です。 ここでいう人外のモノというのは、そういった存在全般のことを指します。 『悪魔の契約』とは、そういったモノたちのチカラを借りるために何らかの契りを結ぶことです。 契りを結ぶことは、すなわち願いを叶えるのは

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  • 想像力と間を取ることの大切さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 ちょっと脳みそが大きいからといって何でもかんでも分かるわけがないのです。 ただ、分からなけりゃ分からない部分を何かで補わなきゃなりません。 そうしなくちゃ先へ進めないからです。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは「知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働き」のことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 人間何となく知ってるつもりになってることが多いですので。 その為には『俯瞰する心の眼』が必要になってきます。 何であれ対象とくっつき過ぎると見えるモノも見えなくなるからです。 ある程度距離を取ることで全体像が見やすくなります。 その見やすい状態が『想像力』を生み出すのです。 物事を俯瞰的に見るためには「自分の主観から少しでも離して物事を見ようとすること」が大

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  • 想像力なくなるほど万能感は強くなる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩となります。 逆に物事をわかったかつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 慮るチカラが弱ければ、その分心の視野は狭くなります。 心の視野の狭くなるほど人間に来備わったバランス感覚によって感じられるはずの『皮膚感』みたいなモノが鈍くなっていくのです。 心の視野が狭くなるほど当然『周りのこと』が見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 だから、心の視野の狭い人ほど思い込みが激しい

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  • 効率主義と基礎を固める大切さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    効率主義という考え方があります。 ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。 もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。 それを個人的には『インスタント』って呼んでいます。 ここでいう『インスタント』とは「何時でも何処でもどんな場合でも単純明快な答えを出していく」という心の在り方のことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね… 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね… で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。 単純明快さがすべてって感じなんですよね。

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  • 時の波動と波瀾万丈な年の瀬 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    時間の流れは単に物理的な気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 同じ8月でも去年と今年は当然気候は違うし、眼に見えないエネルギーの流れも違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間に常に有形無形の影を与えています。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けています。 まあ、それは人間だけではなく『自然』そのものが影響を受けているわけですがね。 で、以前にも申し上げだことがありますが、エネルギー的に見た『お盆』ってのは普通に言われる年中行事のお盆とは時期がズレています。 ズレてるというか厳密にいえば別モノです。 その現象を正確に言うなら、毎年起こる8月におけるエネルギー的な『場の変化』ということになるでしょう。 このエネルギー的な『場の変化』は毎年起こってはいますが、時期や長さはその都度違っています。 また、こ

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  • 盲信という振り切れたココロ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「自分たちだけが当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。 そして、そういう人は往々にして「当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。 大抵の人はまず「これって当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。 少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか? でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たちを見て「世間の常識こそ間違ってるんだよ! 今すぐ覚醒せよ!」みたいな感じで、なお一層『啓蒙』しだしたりします。 周りの人達がドン引きしててもお構いなくね… で、そのドン引きしてる人々に「オマエら、何

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  • 心の風通しの良さと不安定さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのはずっと動き続けているということです。 逆にいえばずっと動き続けることで活性を保っています。 当然ながら動きが鈍くなればなるほど活性は落ち波動的に澱みます。 波動的に澱めば波動のレベルも下がります。 波動のレベルが下がれば色々良からぬモノが寄ってきやすくもなるのです。 もし心がドヨヨ~ンと重くなったり、ジトッと暗くなったりしたら、個人的には先ず「心の風通しを良くしよう!」と考えます。 澱んでる時は心の内側に向かって引きこもりになりがちだからです。 ここでいう引きこもりとは外界との接触を極力少なくしようとする心の動きのことです。 多分傷付いている時は休息を取りたいという欲求が生まれるのでそうなるのでしょう。 ただ、それだと余計に心が澱んで内向的になりがちです。 だから、そういう時こそとりあえず物理的に外に出てみるのも一つの手です。

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  • 心が孤立するほど人は操られやすくなる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    マインドコントロールというのは、大抵心の弱い人をターゲットになります。 心が弱っていると判断能力が鈍るので、自己決定に自信を失って、誰かに決定を委ねたい気持ちが出てきやすくなるからです。 だから、心の弱っている人をより不安にさせ、さらに弱らせてから、依存させようとします。 その上で自分の都合のいい考えをガンガン植え付けて相手をコントロールするのです。 一言でいえば「マトモに考えられない状態にして、支配する」方法です。 そうするためのキモは『孤立』と『依存』です。 支配される方の人間を周りの友人や家族などから引き離し独りぼっちにさせるのが、ここでいう『孤立』です。 そして、支配する方の人間が、心が弱って周りから孤立した支配される方の人間の唯一の救い主になるのがここでいう『依存』です。 「自分のことは大事なことほど、他人に相談しないほうがいいのです。人生は自分で選ぶことが大切だからです。」 ↑

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