ブックマーク / diary.uedakeita.net (2)

  • ゾンビとタフグミ - 真顔日記

    深夜のコンビニは人の思考を停止させるのか。それとも、たんに私の問題なのか。真夜中にコンビニに行くときの自分は非常にぼんやりしている。感情が茫漠としている。ほとんど死んでいるも同然である。そのありようはゾンビの近似値だ。予想外のことがあれば途端に破綻する。アドリブで修正することもできない。ゾンビに即興性はないのである。 今日がそれだった。当初の予定ではグミを買うはずだった。品名も決めていた。タフグミである。現在の私はこれにハマッている。だからタフグミのことを考えながらコンビニまでの道を歩いた。もっとも、そのありようはゾンビの近似値であるゆえに、「タフ……グミ……」程度の思念しか頭を流れていない。 それでも店にタフグミがあれば問題はなかった。しかし、なかったのである。タフグミというのは微妙な立ち位置の菓子で、知名度も低く、定番の菓子とは言えない。店によって、置いていたりいなかったりする。私の行

    ゾンビとタフグミ - 真顔日記
  • なぜ、くしゃみのあとに言葉を足すのか? - 真顔日記

    くしゃみというのは、わりと細かく制御できる。肉体の勝手な現象にみえて、あれは意外とそうではない。くしゃみの予感から実際の発動までの数秒で制御が可能であり、意識的にせよ無意識にせよ、人はくしゃみをコントロールしている。 以前私は、「へっくち!」とかわいく言えるのか試してみたことがあるんだが、普通に言えた。同時に、二度と言わないでおこうと決めた。成人男性の口から出るにはかわいすぎたからである。自分で自分のことが少し嫌いになった。くしゃみの仕方ひとつとっても、自分らしさは打撃を受けるということなんだろう。 おっさんは、くしゃみの後にチクショーと付ける。そんな話がある。「ハックション、チクショー!」というやつだ。実際に見たことはない。しかし自分の経験から、簡単なことだと予想できる。ただ、私はくしゃみの後に何も付けない。必要性を見出せないからだ。なぜ、わざわざ言葉を付けるのか? 一種のアクセサリー感

    なぜ、くしゃみのあとに言葉を足すのか? - 真顔日記
    tokushitai
    tokushitai 2018/02/07
    エコーじゃなくて普通にショイッ…ショイッ…ショイッ……みたいに出る時あるw
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