■「する―される」関係からの解放 哲学の本を読む最大の喜びは、それが新しい考え方・見方を示してくれることにある。それによって、いままでの景色が違った見え方をするようになる。新しい世界が開けてくる。 私たちの生活は何かをすること、また人から何かをされることによって成り立っている。そこには能動と受動の関係がある。ふつうそのように考えるだろう。だが、本書を読むと違う光景が広がり始める。 かつて「中動態」という言葉があった。私たちになじみの「能動態―受動態」という対は、古代の言語では「能動態―中動態」という対であった。いまは失われてしまったこの語り方を理解するには、「する―される」という捉え方から解放されねばならない。 例えば「花子が寝ている」という場合、花子は「寝る」という行為をしているのではなく、花子において「寝ている」という出来事が生じているとされる。そして出来事が完全にその主語のもとにある
![書評・最新書評 : 中動態の世界―意志と責任の考古学 [著]國分功一郎 - 野矢茂樹(東京大学教授・哲学) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d4e2cb2d96d6992666057be75442b8381cc728cb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41ZZagW7OUL.jpg)