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書評・最新書評 : 中動態の世界―意志と責任の考古学 [著]國分功一郎 - 野矢茂樹(東京大学教授・哲学) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
■「する―される」関係からの解放 哲学の本を読む最大の喜びは、それが新しい考え方・見方を示してくれる... ■「する―される」関係からの解放 哲学の本を読む最大の喜びは、それが新しい考え方・見方を示してくれることにある。それによって、いままでの景色が違った見え方をするようになる。新しい世界が開けてくる。 私たちの生活は何かをすること、また人から何かをされることによって成り立っている。そこには能動と受動の関係がある。ふつうそのように考えるだろう。だが、本書を読むと違う光景が広がり始める。 かつて「中動態」という言葉があった。私たちになじみの「能動態―受動態」という対は、古代の言語では「能動態―中動態」という対であった。いまは失われてしまったこの語り方を理解するには、「する―される」という捉え方から解放されねばならない。 例えば「花子が寝ている」という場合、花子は「寝る」という行為をしているのではなく、花子において「寝ている」という出来事が生じているとされる。そして出来事が完全にその主語のもとにある
2017/05/24 リンク