2024年5月6日のブックマーク (1件)

  • テロ直後、米国から来た空母護衛の要請 そのとき海自は 元統幕長が振り返る20年前:朝日新聞GLOBE+

    海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」(右)が護衛する中、東京湾を航行する米海軍空母キティホーク=2001年9月21日、朝日新聞社撮影 ■「正確には、護衛のふり」 9月11日のテロ発生から間もなく、横須賀を母港にしていた米空母キティホークが緊急出港を求めているという話が、河野氏の耳に入った。「横須賀にいた方が安全ではないかと思った。でも、米国は当時、誰も信じられず、国民も不安におののいていた。米側は、横須賀上空を飛行する民航機がキティホークに突っ込んでくるかもしれないと気で心配していた。空母は米軍事力の象徴。攻撃されたら、米国の威信が傷つけられると考えていた」 当時、キティホークの艦載機は厚木基地にいた。「横須賀では作戦不能の状態だった。戦争中にやられるならまだしも、寝ているところをやられるのはたまらない。だから、洋上に出てオペレーションができる態勢を取りたいということだった」。実際、テロ直後、

    テロ直後、米国から来た空母護衛の要請 そのとき海自は 元統幕長が振り返る20年前:朝日新聞GLOBE+
    tokyocat
    tokyocat 2024/05/06