ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (6)

  • 男女共同参画 - 狂童日報

    「個別のテーマが、若年低賃金層にとってどのような意味を持っているのかという具体的な分析に議論を向けていくべき」だと先に書いたが、例えば「男女共同参画」について。「男女共同参画」に賛成する層としては、基的に女性が期待されている。少なくともこの理念を掲げている人は、ほとんど無条件にそう思っているだろう。しかし前にも述べた通り、「男女共同参画」を前面に出した浅野史郎に女性票はさほど集まらなかったと言われている。そこで、どういう女性が「男女共同参画」を支持したり反発したりするのかを少し考えてみたい。しっかりしたデータに基づくものではないで、あくまで仮説である。 (1)専業主婦層 普通に考えれば、この層には「男女共同参画」に共感する人は多くはないだろう。しかし一方で、この層は比較的生活に余裕がある人が多いと思われるので、家の中に閉じこもって家事ばかりこなす生活に満足できず、「社会活動」の一環として

    男女共同参画 - 狂童日報
    tokyocat
    tokyocat 2007/06/20
    《自分の生活状況の改善につながる気が全くしないので、「男女共同参画」などに関心のもちようがないし、「キャリア女性」などが声高にそれを掲げる姿を目にすれば、やはり反発を感じるのは自然》
  • 「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報

    最近、「フリーター」などの若者弱者が自民党に投票したり、女性が「男女共同参画」を訴える浅野史郎ではなく、女性蔑視発言をしばしば行なう石原慎太郎に投票したりという奇妙な現象が起こっている。 多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国韓国戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立って

    「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報
    tokyocat
    tokyocat 2007/04/30
    《「男性日本国民」のもつ権利を女性やマイノリティに平等に拡大していく》=《「豊かな中流社会」がまだ存在していると思うことができるような、安定した地位を得ている人々の「きれいごと」》
  • 地方政治の無党派化 - 狂童日報

    宮崎県知事選の結果には、最初は他の人と同じようにかなり驚いたが、やっぱりなという気もしてきた。 今まで無党派層と言うと東京や大阪など都会の話だ思われてきた。情実や縁故に縛られない「個人主義」的な人間が多い、というのがその理由である。しかし今や、そういう点では地方もあまり変わらなくなっている。むしろ、首都圏に社がある大型ショッピングモールやコンビニエンストアへの依存度、自動車の利用頻度、テレビやインターネットを観る時間などは、明らかに都会以上になっている。地域に密着した商店街は地方都市ではゴーストタウン化しているが、東京のほうでは依然として活気がある。少なくとも社会的な状況からすれば、地方でも無党派層が大量に出現して全く不思議ではなくなっている。いやむしろ、地方のほうが都会以上に無党派化している可能性があるのである。 その意味で宮崎県知事選の結果は、昔は地域に根を張った有力者を通じて政治

    地方政治の無党派化 - 狂童日報
    tokyocat
    tokyocat 2007/01/24
    《地方のほうが都会以上に無党派化している可能性》
  • ホワイトカラー・エグゼンプション - 狂童日報

    ホワイトカラー・エグゼンプションがここのところ大きな批判の的になっている。ここまで露骨な「残業代ゼロ法案」には、さすがに与党内にも慎重論が出ている。 ただ導入する側の理屈にも少し真面目に付き合って見る必要はある。その理屈とは、労働の価値を時間ではかることをやめることで、効率のよい働き方が促進され、結果的に生産効率が上がるとともに、労働時間が減少されるというものである。少なくとも、時間に換算できない「クリエイティブ」な仕事が増え、成果主義が広がっている現状に対応できるというのである。「ホワイトカラー・エグゼンプションは少子化対策になる」という、失笑ものの安倍首相のコメントも、この論理に忠実に従ったものであると言えるだろう。 もちろんこの論理は建前でしかないと批判することはできるし、またその通りなのだろうが、私が考えるに問題はそれ以前の「効率のよい働き方が促進される」というところにある。という

    ホワイトカラー・エグゼンプション - 狂童日報
    tokyocat
    tokyocat 2007/01/08
    まとめ
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

    希望は戦争 - 狂童日報
    tokyocat
    tokyocat 2006/12/07
  • 2005-07-18

    ちょっと補足をしておくと、数は多くないが、「中国は靖国問題や閣僚の『妄言』で傷ついている」という中国人の主張に同調し、責任はことごとく過去を直視しない日人の側ににあるという人もいる。また日のメディアの中国報道の「偏向」を批判し、大多数の人は反日でも何でもなく、日中友好を真面目に考えている若者も大勢いると言う人もいる。いわゆる「親中派」である。 前者について言えば、間違っている云々以前に、大多数の日人に対してそうした説明が通用するのかどうかという緊張感と、議論と対話の姿勢が完全にかけている。中国の立場に自身を同一化させて大上段に自国を批判することの欺瞞性など、中国に対する贖罪意識が共有されていた昔ならともかく、強圧的な物言いで日に対応する中国政府のあり方を見ている今の人が見抜けないわけがないだろう。また後者について言えば、「反日主義者」がごく少数であるなどということは、少なくとも私に

    2005-07-18
    tokyocat
    tokyocat 2005/07/18
    反日の背景はともかく反日そのものを知れ、ということだろう。
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