8月6日。新聞の1面に「リオ五輪きょう開幕」の見出しが躍っていた。ページをめくると中面に、米軍普天間飛行場の移設をめぐる沖縄県と国との法廷闘争の記事。脚本家の上原正三さん(79)=東京都町田市=は嘆息した。「これが沖縄とヤマト(本土)の溝。40年経ても埋まらない」。翁長雄志(おながたけし)知事の記事中の言葉をなぞった。「自国政府にここまで虐げられる地域が他にあるでしょうか」 那覇市生まれ。1960年代にウルトラマンシリーズの脚本を手がけ、一大ブームを巻き起こした。隣町の南風原(はえばる)町出身の金城(きんじょう)哲夫に誘われて円谷プロに入ったのは65年。1歳下の金城は脚本を統括するメインライターだった。沖縄戦と基地問題を描こうと脚本家をめざした上原さん。怪獣ものに興味はなかったが、書いてみると、自分の物語を投影できると気づいた。 55年、大学入学のためパスポートで上京。車窓の景色に驚いた。