最近全然日記書いてませんでしたが、結婚してました。具体的には新居への転居準備やってて、今日婚姻届出してきた形。 相手はid:narukami(@narukami)です。双方ともはてなー兼ついったらーなので、はてな婚&ついったー婚とも言えるわけですが。 落ち着いたらまた定期的に更新し出すと思います。
6日間ぐらいTwitter使うの止めてるんだけど、それなりにメリットがあった。 第一にネットする時間が減った。 Followingが600人以上いるせいか更新postがそれなりに多く、ディスプレイの前に貼り付きっぱなしになりがちだったんだけど、それなりに時間ができた。 その分、読書やら試験勉強やら木剣振り回したりに専念。 第二にBlogの更新頻度がやたら増えた。 Twitterに書き込んでいた分のモチベーションやリソースが、そっくりそのままBlogに移行。本来の形に戻れた感。 というかTwitterにやたら書き込んでると、Blogを書こうという意欲がかなり減退する。 第三に、これは俺自身の問題でもあるんだけど、孤独感が減った。 Following数が増えてくると、@発言での長い会話というのは減ってくるし、自分への反応も見えにくくなってくる。(対応の仕方はあるが) こういうこと言うのも恥ずか
・色付きはてなスター「カラースター」の販売を開始しました - はてなスター日記 ・ニコニ広告を試してみた - 未来私考 両方ともほぼコンセプトが同じなんだよな。 好きなものにお金を払う 自分の好きな作者・筆者を間接的に応援できる 老若男女手が出せるてごろな値段 うまいこと使えば”オチ”になる (作品の一部として自分が参加できる) 「ネット上の実在しない対象にお金を払う」という意味では、MMORPGの「アイテム課金」にも似たところはあるのだけど、金をかける対象が”自分”とか”運営側”になってしまったりするので、多少コンセプトが違う。はてなは昔から「完成度50%のしっかりしたものを作って、その後はユーザーと一緒に作り上げていく」ってコンセプトを変な会社の作り方でも言ってたようにずっとその考えを貫いてる感がある一方で、ニコニコ動画運営側というのはユーザー数が多いせいなのか「ユーザーと一緒に作り上
昨日はlegnumさんとこの調理実習オフで一通り楽しんできたのは良いのだけど、オフ行く前に飲んだ古めのウーロン茶に雑菌が繁殖していたらしく、オフの後半で具合が悪くなり、寒気が止まらなくなるという始末。カラオケ行きたかったのだけど、そんな状態では当然行けるわけがなく渋谷から家のまん前まで送ってくれるバスで震えながら帰宅。そのままこたつで夜中の2時半まで寝てた。 その後、トイレの住人になったり、twitterでニコマス界隈の方々に相手をしてもらったりしながら、5時ごろに再びでこたつ寝。今度は朝10時50分に起床し、自宅に人が来る予定があるので部屋を掃除しつつ洗濯物を干し、ちょっと落ち着いた所でPCに向かってブログ書いている、というのが今の状況。 今日は二郎どころか流動食ぐらいしか食えそうにないのが残念だ。 ><
最近思うのが、昔から「読むのが好きな人」というのは”本”という強力な媒体があったから特に問題も無かったのだけど、それとは逆に「書くのが好きな人」はほんの最近のウェブサイトやらブログやらが出来るまでは「書く」と「読む」のバランスが「読む」側に非常に傾いていて、昔の世代はどうやってその辺りのエネルギー放出してたんだろうな、とか思ったり思わなかったり。*1あ、でも新聞や雑誌の投書欄とかがあるか。(ネットには適わんけど) というのも、自分が「書く」人間であって、これといった読書もしてないような青二才がそれを自覚しつつもWWWの片隅で偉そうな放言をしているのも、書くことに対して飢えがあるからであって、読むことに対する飢えではない。ただし、「読む」と「書く」とそもそも表裏一体であるから、どちらか片方をやっていればもう片方をやりたくなるのが人間であって、読書をこなよく愛する人間が書くことに対して興味が向
twitterでうな重の話してたら、「夕食はやよい軒」→「(俺)やよい軒うまそう」→「うっうー! もやし祭ですか?*1」という流れから、もやしのいちばん美味しい食べ方みたいな話へ移り、次々と情報が集まってきてどうしようかと思った。とりあえず凄く役に立ちそうなのでまとめてみる。 「もやしはナムルうまいよナムル」 「でも味の素がないと作れない」 「あれ、なくてもつくれるのか? ラー油とか入れると美味い。でもラー油もないなあウチ…。豆板醤いためればラー油になるんだっけか」(くいずのすさん) 「個人的にはニラもやし炒めだと思う<もやしの旨い食い方」(よしかわさん) 「ただカレー粉まぶして炒めるのもあり。」(うろくさん) 「 豆もやしが好きだなー。豚肉と炒めてばりばりと。」(ak9さん) 「モヤシはごま油でまぐろと炒めると滅茶苦茶うまいです><」(y_benjoさん) 「 もやしはあっつあつにバター
ニコニコ動画がメンテナンス中なので、久々に本家で日記を書く。 最近、「幸せと主張するのは不幸な人間にとって毒」とか「それでも幸せ主張して何が悪い」的な議論がはてな周辺において起こっているのだけど、すんげーベタな幸せを求める願望ってどうなのよ、とか思ったりする。いや、幸せ求めること自体は悪くないし、そこいらで行われてる議論とはかなりズレた疑問だったりするのだけど、自分が中学生ぐらいの頃かな、 「裕福さとか結婚とかで『幸せになりたい』って皆言うけど、何でみんなそこまでして幸せになりたいんだ? 人として何かを成し遂げたいと思わないのか? そんな皆が求めるような幸せで自分のやりたいこと、やるべきことを邪魔されるくらいなら、俺は幸せなんていらない。不幸のままでいい。」 ってずっと思ってて、”幸せ否定論”みたいなものを19ぐらいの頃まで大事に持ってた。 で、ある日「幸せはいらない。やるべきことがあれば
墓参りついでに秋芳洞行ったりしてたんだが、速攻バイト行ったりアイマス動画巡回したりしてたので日記書くの忘れてました。 そうそう、バイト先で初めて皆と飯食いに行ったけど「負のオーラ出てる」と言われて凹んだ。 言うなればヘボメガネさんの言う「はてな臭」のことだと思うのだけど、一般人から見ればタダのネガティブオーラらしく、そういう闘気を普段から出してしまっているようなのだ!! これは実に由々しき事態であり、もうちょい一般人に近い生活スタイルに近づけようかなとは思うものの、ブログやSBMはおろかtwitterやtumblr、ニコニコ動画巡回も一切止める気が無いので本当に一般人に近づけるかどうか疑問っちゃ疑問なのだが、そういう一般人でも飯の時だとYoutubeの話題とか出てくるので、一般人話題優先度「mixi>Youtube>blog>>>2ch>>>>(越えられないキャズム)>>twitter>S
はてなダイアリーやはてなグループに「はてなスター」が導入された。 ブログをいっそう楽しくする「はてなスター」をリリースしました - はてなダイアリー日記 早速、「こんなもんいらねー。」っていう意見が各地から出ていて、はてなスタッフが気の毒になってくる気がするので、少し前向きに捉えてみる。 評価のようで評価ではない はてなスターに関するエントリをざっと見てみたの限り、どこもかしこも「エントリの評価」と考えているケースが多いのだけど、そもそも評価だったらスターを付ける数に制限が設けられるはずだから、客観性を含めたような「評価」を意図したものではないと思う。むしろ人気じゃなかろうか。 皆から愛されてるブロガーはすげえ星が付くと思う。星をいくつも付けれるのは「星を付ける側がどれだけそのエントリやブロガーのことを気に入っているか」という指標なわけで、その総和が表示されるだけ。評価という言葉を使うにし
とりあえずコメント欄そのものをメモ。 http://d.hatena.ne.jp/kinghuradance/20070703/p1 MAMAN 『疲れてるところごめんね。MAMANの自戒をこめていうと、これは相手に対してはことばにすればするほど罠にはまる感じだけれど、自分ではある所でことばが尽きる運動なんです。学校で習わない読み方がわからないひとが多いしね。歳とってくると、互いの違いを楽しめる会話ぐらいできたら、好きになれる場合もあるし、お互いを気にせず勝手に話す境地もあるようだけれど、何でしょうね。 でも、書きたい時は気が澄むまで書いたらいいと思います。』 (2007/07/04 18:11) n o n e c o 『女性は等身大を大切にしている。日本の社会は、社会の大きさにまで自分を高めるよう慣習化されていて、等身大に価値を見出さない。特に、日本の男性。これって、すごい珍しい現象だ
最近ずっとそんな傾向だ。 なんつーか、記事の方は書くときにはそれほど頭使ってなくて、書く前にあらかじめ考えてたことをばーーっと書いてることが多い。 (○○のまとめ、みたいな情報集約記事は別だけども) それに対してコメントでの返答はどうしても相手に合わせる必要があるし、「あらかじめ考えておく」という思考の作り置きが出来ないため、全部即興で文章を構築する羽目になる。相手がわかってないケースならどうしても相手がわかるようにカスタマイズして話したり、順を追って話すためにもエントリ三つ分の内容をわざわざ労力割いて話す羽目になったりする。つうか、時間があるときなら良いけど、今のように時間が無いときにややこしいコメントが来ると返答することもできなかったりする。いや、コメントしてもらえることは嬉しいんだけど、そこまで時間を割いてしまうと生活に支障が出てしまうから、どうしても返答できない。もうちょっと突き詰
俺の身内は何があっても正義だし、身内を批判するヤツはどんな理由であっても許さねぇ!それが俺のジャスティス!!(id:Marco11) - 世界のはて この記事を見てちょっと思った。 職場などの何らかの共同作業を行う状況でやってんのなら問題だろうけど、Web上での個人的空間で身内びいきをやるのは特に問題は無いんじゃないかなあ、と。 通常は「身内びいき」してる本人が嫌われるだけで、敵認定された側もスルーを決め込めば特に問題が無い。ましてやWeb上であればコメント制限等の各種機能を使えば容易にデメリットを回避できる。それでも「いきなり罵倒された」ことに納得がいかないのであれば、finalvent氏も言ってるように言い返せばいいだけ。とことん殴り合えば良い。 身内びいきのメリット 身内びいきのメリットは大きい。 仲間との親密な関係を築けるのが何より大きい。言うなればそれだけだけど、それ以上にメリッ
文章がどうも書けない。俗に言うスランプというやつだろう。 ちょっと前から周りがゴタゴタしてるので頭の中がそればかりになってしまい、他のことが考えられない状態になっているからだろうな。 いや、正確には”書く時期”と”書けない時期”のちょうど書けない時期に入っていたときにゴタゴタがあったから余計書けなくなったというべきか。 本来ならもう少し他人に気を使った文章を書きたいところなのだけど、リハビリの段階なのでとにかく何か書くということをしてみたい。 ……と思ったのだけど、自分の心がそんだけ揺さぶられてるってことは体動かした方が良いんじゃないかな、とも思った。おそらくこういう時の方が何も考えずに没頭できるはずだ。 文章書くにしてもそこそこの文章が書ければ、ブログでの文章である限り、そのレスポンスから連携させて新たなエントリを生み出せば特に困ることは無いはずだ。が、生来の怠け者遺伝子が働くせいか、途
人間には二種類居て、ベタに生きる人とメタに生きる人がいる。 ベタな人は実に物事をシンプルに考えていて、感情もしくは感性で動いている人であり、体育会系気質な人や大学のサークルで人生楽しんでそうなタイプがここに当てはまる。精神年齢の面から見て若い。 具体的な行動で物事を証明することが多く、余計なことを考えないため人付き合いやファッションにはとても向いている。要約すると横のつながりに強い。 ただし、長期的な予測には感性の部分を相当磨く必要がある。 一方で、メタな人は体系的・分析的に物事を考えていて、いかに緻密に世界を把握するかを重視している。精神年齢の面から見て老成。 文章や知識、抽象的な論理で物事を証明することが多く、学問や求道者に向いている。要約すると縦のつながりに強い。 ただし、第一印象重視(ベタ視点重視)のファッションや人付き合いなどは苦手。 どちらも歳を経てくるとメタになっていくのだけ
http://originaltheory.g.hatena.ne.jp/uguisyu/20070505/p2 ボクも典型ですけどネットとリアルの二重生活を送ってるとリアル自分がどんどん薄っぺらくなってく気がする。テレビに出るミュージシャンが必要に駆られてムリムリ出してるアーティスト臭みたいな感じで、ムリムリ実社会人臭を出さなきゃいけないハメになってる。これは正直スゴイきびしいid:uguisyuさんがこういうこと述べててすげえ共感できた。自分なんか最近ネットばっかやってるせいか顕著にそれを感じる。 んで、逆に言えばリアルが充実してて「ああ幸せだ。」みたいな時期のときって全然文章書けなかったり、ネットもやらなかったりする。 ここでふと思い出したのが「出る杭は打たれる」っていうことわざ。 正確に言うと、そのイメージかな。 明らかな才能があるとか、人より抜きん出ようとすると足引っ張られるって
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