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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (3)

  • 「なぜCanCam的「めちゃモテ」のひとり勝ちなのか」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「エビちゃん」という新しい「正しさ」の圧力 通勤電車付近というのは、殺伐としてむさ苦しいものである。そんな中で、いまならばエビちゃん風など流行りのファッションをしている女性を見つけると、なにかドキッとするものだ。単にかわいい女性というよりも、流行りのファッションを身にまとっていると、それだけで引かれるモノがあることを感じる。 これは、そのファッションのもつ魅力であるとともに、そこに新しい「コミュニティ」を見るからではないだろうか。そのファッションを指示する多くの若い女性たちという「コミュニティ」であり、そこに新しい「正しさ」がある。その「正しさ」は漠然としたボリュームを暗示する「コミュニティ」という圧力として働くある種の虚像であり、だから早すぎても、遅すぎるてもダメなのである。 「なぜCanCamの「ひとり勝ち」なのか」 と、考えていると、CanCamの「ひとり勝ち」状態について、女子大生

    「なぜCanCam的「めちゃモテ」のひとり勝ちなのか」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    tomo-moon
    tomo-moon 2007/06/28
    耐えられるか耐えられないかというより、そんな状況を喜んで受け入れられるかどうかという「適性」に依るような気もする。まいずれにせよ「みんなにちょっとずつ嫌われる」無愛想女には縁のない話だw
  • なぜゴミ屋敷住人は滑稽なのか  松本人志初監督作品「大日本人」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ゴミ屋敷住人」のこだわり 「ゴミ屋敷」というのがある。どこからかゴミを集めてきて、家に詰め込み、近隣に悪臭を放つ。彼らゴミ屋敷住人の特徴は一人暮らしの孤独な老人である場合がほとんどである。彼らの心理を想像すると、彼らは自分なりのあるこだわりをもっているように思う。たとえば「最近の人はものを大切にしない。」あるいは「どこでもゴミをすてる。」「だから私がものを大切にする見をみせるのだ。」というような。 彼らはこのような頑固なこだわりのために社会から孤立したというよりも、小さなこだわりが誰にも振り返られないという孤独の殻の中で人知れず凝縮されたと言える。そしてそれは一つの暗黙のパフォーマンスであり、誰かにかまってほしいシグナルでもあるが、簡単にほどけるものではない。 <以後ネタバレあり> 松人志初映画監督作品「大日人」 今話題の松人志初映画監督作品「大日人」(http://www.d

    なぜゴミ屋敷住人は滑稽なのか  松本人志初監督作品「大日本人」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ経済学で「幸福」は語れないのか  経済学の彼岸 その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「 なぜ池田氏は「普通の経済学」といったのか 」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20070216のコメント欄からの転用です。(改訂有り) tako 別に経済学は「幸福」議論していないわけではないんだけど。ただ、標準的な大学の学部レベルの経済学では議論しにくいだけ。 pikarrr 経済学の「幸福」議論とはどのようなもののことを言っているのでしょうか。行動経済学?「幸福」議論とは幸福とはなにかを議論することだと思います。 tako 経済学では「幸福」のことを「効用」という言葉で表します。初級の経済学では効用は金銭(もしくは金銭で買うことができる物・サービス)のみに依存するようになっています。よって経済学では「お金」しか扱ってないような感じがするかもしれません。しかし、中級以上の経済学では、例えばこの「効用」を構成しているものの中に他の人の効用を入れることがありま

    なぜ経済学で「幸福」は語れないのか  経済学の彼岸 その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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